ヘどこにも見当らない。そして最後に、ようやく、自分でその日本人に会って見る決心をした。
「何しろ、顔だの服装だのをいろいろと細かく聞いて見ても、ちっともあなたらしくないんですからね。」
 Mは最後にこう附け加えて、そのちっとも僕らしくなくなっているという顔を、今さらのようにまた見つめ直した。
 Mは、Lのところへ行こうといって、さっきの十五番の家へ案内した。
 Lの室にはもう五、六人つめかけて僕を待っていた。その中で一番年とったそしてからだの大きな、東洋人というよりもむしろフランスの高級の軍人といった風の、口髯をねじり上げてポワンテュの顎鬚を延ばした、一見してこれがあのLだなと思われる男に、僕はまず紹介された。はたしてそれが、日本でも有名な、いわゆる(四字削除)のLだった。
「日本人とこうして膝を交えて話しするのは、これが十幾年目(あるいは二十年目と言ったかとも覚えている)です。あるいは一生こんなことはないかとも思っていました。」
 Lは一応の挨拶がすむと、Mの通訳でこう言った。Lは軍人で、朝鮮が日本の保護国となった最初からの(九十五字削除)。

 こうして僕は一時間ばかりLと話ししたあとで、Lの注意でMに案内されてあるホテルへ行った。そこはつい最近までイギリスのラッセルも泊っていた、支那人の経営している西洋式の一流のホテルだということだった。
(四字削除)の室と言っても、ごくお粗末な汚ない机一つと幾つかの椅子と寝台一つのファニテュアで、敷物もなければカーテンもない、何の飾りっ気もない貧弱極まるものだった。それに僕がこんなホテルに泊るのは、少々気も引けたし、金の方の心配もあったので、もっと小さな宿屋へ行こうじゃないかとMに言い出た。が、Mは小さな宿屋では排日で日本人は泊めないからと言って、とにかくそこへ連れて行った。実際、道であちこちでMに注意されたように、「抵制日貨」という、日本の商品に対するボイコットの張札がいたるところの壁にはりつけられてあった。
 そして僕は、それともう一つは日本の警察に対する注意とから、支那人の名でそのホテルの客となった。
 翌日は、ロシア人のTや、支那人のCや、朝鮮人のRなどの、こんどの会議に参加する六、七人の先生等がやって来た。そしてそれからはほとんど二、三日置きに、Cの家で会議を開いた。Cは北京大学の教授だったのだが、あることで入獄さ
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