時幾分かの急行の出る少し前だった。
私服は汽車の出るのを見送って引っ返したようだった。
マルセイユの警察へは僕の出発と到着との時刻を電報してあるからと言うのと、生じっか立寄ってまた迷惑をかけてもと思って、リヨンには寄らずに、翌朝マルセイユに着いた。が、マルセイユでは、別に制服も私服も迎いに出ているような様子はなかった。
僕は宿をとるとすぐ、領事館へ行った。領事の菅君はまだ新任早々で、一週間ばかり前までは杉村君の下に働いていたのだった。
菅君はマルセイユの警察へ行って、第一の船で出帆するという命令のその「第一」というのを日本船のと念を押して来、また郵船の支店へ行って旅券なしで切符を買える談判をして来て、ちょうどそれから一週間目に出る箱根丸で日本へ帰る都合をつけてくれた。
僕はその間にうちへも電報を打ち、パリやリヨンの友人等にも電報や手紙を出して、その日までに立てる準備をした。そして僕が何の心置きもなく安心してその準備に取りかかれたのは、僕の友人や同志が誰一人僕のまき添えとしての迷惑を大して受けていなかったことだ。
即刻追放というんで、パリではあんなに厳重だったのだから、ここでもたぶん警戒がうるさかろうと思っていた。そして、そのうるささを多少でも避けるつもりで、ことに選んで一番いいホテルに泊った。
が、一日い、二日いして、いろいろと注意して見ているのだが、何の警戒もあるらしい様子がない。ホテルででも取扱いに何の変りもない。そとへぶらぶらと出ても、別に誰もつけて来る様子はなく、帰ってもどこへ行って来たとも誰も尋ねない。
領事がそれとなく警察で聞いて見たのだそうだが、実際停車場へは誰も僕を迎いには出なかったとのことだ。もっとも、ちょうどその汽車の中で大きな泥棒があって、そのために大ぶごたごたしてはいたそうだが、それが僕を迎いに出なかった理由になろうとも思われない。そして、到着早々僕は警察に出頭しなければならない筈なのだそうだが、それもわざわざ領事が行っていろいろと話しして来たのだから、この上出頭するにも及ぶまいという領事の話だった。
こうなると、僕は裁判所下のグラン・サロンでの、色男等の話を思いださない訳には行かなかった。特別に大ぶ厳重だった僕の追放が、人なみのいい加減なものになったのだ。そう言えば、いつか、ル・リベルテエル社へ来た、ハンガリイの同志など
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