vが持って来てくれたふろしき包みの荷物を、トランクの中に入れかえた。荷物といっても、途中の船の中でやる予定の、仕事の材料と原稿紙とだけなのだ。そしてまた一と寝入りした。
移動警察の成績が大へんいいので、十五日からその人数を今までの幾倍とかにするという新聞の記事が出たばかりの時だ。その成績のいい一つの例に挙げられては大へんだ。が、それらしい顔もついに見ないで、翌朝無事に神戸に着いた。
神戸は、実は僕にとっては、大きな鬼門なのだ。先きにコズロフの追放されるのを送りに来た時、警察本部の外事課や特別高等課に顔を出しているので、大勢のスパイどもによく顔を見知られている筈だ。そこから船に乗るのはずいぶん剣呑だとも思ったが、しかしそれよりもっと剣呑な横浜からよりは、安全だと思った。横浜の警官でほとんど僕の顔を知らないものはないくらいなのだ。長年鎌倉や逗子にいた間に、代る代るいろんな奴が尾行に来ている。
改札口を出ようとすると、どこの停車場にも大てい一人二人はいるのだが、怪しい目つきの男が一人見はっている。そして僕が通り過ぎたあとですぐ、改札の男の方へ走り寄ったような気はいがした。僕はすぐ車に乗って、いい加減のところまで走らせて、それからさらに車をかえてあるホテルまで行った。
あした出る筈で、その切符を買って来てあるある船は、あさっての出帆に延びていた。仕方なしに、その日と翌日の二日は、ホテルの一室に引っこんで、近く共訳で出すある本の原稿を直して暮した。そしてたった一度、昼飯後の散歩にぶらぶらそとへ出て見たが、道で改造社の二、三人が車に乗って、その晩のアインシュタインの講演のビラをまいて歩いているのにぶつかった。僕は僕の顔がはたして彼等に分るかどうかと思って、わざとその方へ近づいて行って、車の正面のところでちょっと立ち止まって見た。が、分る筈はない。かつて僕が入獄する数日前、僕のための送別会があった時、僕は頭を一分刈りにして顔を綺麗にそって、すっかり囚人面になって出かけて行った。そして室の片隅のテーブルに座を占めていたが、僕のすぐ前に来て腰掛けたものでも、すぐにそれを僕と気のついたものはなかったくらいだ。
船の中に四、五人の私服がはいりこんで、あちこちとうろうろしたり、僕が乗った二等の喫煙室に坐りこんだりしていた。ずいぶん気味は悪い。しかしまたそれをひやかすのもちょっと面
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