驍フ馬鹿らしさと、同様のことである。ただここには、嫁と姑との間のごとき、一種の権力関係のないことが、しあわせである、ぐらいのことである。もっと適切な例を挙げれば、諸君の間の関係は、勿論、本妻と妾、もしくは妾同士が、あきらめや妙な粋から、本意なくも笑顔をつくり合っているようなものであってはならない。こんなことは、今ことに君に向って言う必要は少しもないのだが、世間の奴等は、とかく自分等の間の一般事実をもって、他の特殊の事実をも律しようとしたがるものだから、無駄なことまでも言わなければならない仕儀になる。
 無駄と言えば、今僕が書いて来たことの大部分は、すべて無駄なので、「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」と題しながらも、実はまったくそれに触れることなくして、そのいわゆる一情婦の男およびその女房や他の情婦に対する心持の紹介と註訳とに力を尽して来たのも、要するに世間という馬鹿な奴等がさせるのだ。
 君の心持は、君自身がやはりこの雑誌の本号に書くという、あるいは近く『大阪毎日』に連載するという、君の文章の中で、勿論もっと詳細にかつもっと正確に発表されることと思う、したがって僕のこの紹介や註釈は、君にとっては、余計な出しゃばりであるかも知れない。しかし、その出しゃばりが僕の好意そのものから出る大した悪くない癖でもあり、かつこの文章が君に宛てた手紙であるところから自然に君のことばかり頭に浮んで来ることをも察してくれれば、君としては許されないこともあるまい。もっとも、こんな書きかたをして、だいぶ僕自身のことを君に言わしたのは、ちょっと怪しからぬずるい遣りかたではあるがね。
 しかし、どうかすれば、もう五年か十年かすれば、こんなふうな内容の、もっとも形式にはいろいろ変りはあろうが、たとえば同じ自由恋愛でもあるいは一夫一婦の、あるいは一夫多婦のあるいは多夫多妻の種々なる形をとることができようが、男女関係は、大して珍らしいことでもなくなって、したがって一々その男や女の心持を公表しなければならないというような必要もなくなるのだろう。
 とにかく僕等は、今の僕等にとっては、というのは僕には最初からだが君や神近にはようやくこの頃になってからのことだから、きわめて平凡なことをやっているのだ。だから、少なくとも僕にとっては、もし世間の奴等さえぐずぐずと馬鹿なことを言わなければ、何にも自
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