らなった。
僕がえらいんでも何でもない。誰でもが経験する通り、電車に乗っていて、そとを通る人間が巻煙草を吸っているのを見ても、別に羨やましがりもせず、時としてはかえってそれを馬鹿馬鹿しく思うことがあると同じだ。
性欲についてでもやはりそうだ。もっともこれは、煙草の場合のようには、無意識のあきらめとその結果の客観的批評のせいだとは思えない。もうすこしこみ入った事情があるように思う。
その一つは、たかだか大根か芋を最上の御馳走とする、ほとんど油っ気なしの食物だ。次には、ことに独房では、性欲についてほとんど何の刺激もないことだ。そして最後には、終日、読書と思索とで根を疲らし切ってしまうことだ。
この三つの条件さえ具えていれば、誰でも、何の修養も何の苦悶も何の努力もなしに、ただちに五欲無漏の名僧知識になれる。山にはいるか牢にはいるかだ。
しかし、久米の仙人も雲から足を踏みはずしたように、この牢屋の仙人も時々凡夫に帰る。
ほかでそんな機会はなかったが、東京監獄での第一の楽しみは、女の被告人か囚人かを見ることであった。このことも前にちょっと言った。
僕等はいつも独房の四監か八監内かに
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