『万朝報』を読んで、毎晩一合か二合かの晩酌をやっていたそうだ。
僕ももし酒が飲めれば、葡萄酒かブランデーならいつでも飲めた。それは看護人が薬室から泥棒して来るのだった。
医者も役人ぶらずによく待遇してくれた。看守もみな仏様で、僕はほとんど自分が看守されているのだという気持も起らなかった、ぐらいによく謹しんでいられた。
御馳走も普通の囚人よりはよほどよかった。豚汁が普通には一週間に一回だったのが二回あった。それに豚の実も普通よりは数倍も多かった。
僕はこの病監で、自分が囚人だということもほとんど忘れて一カ月余り送った後に、足の繃帯の中に看護人等の数本の手紙を巻きこんで出獄した。
しかし、これがほんのちょいと足の指を傷つけたぐらいのことだから、こんな呑気なことも言って居られるものの、もしもっと重い病気だったらどんなものだろう。僕は先きに肺病でもいいから病監にはいりたいと言った。今僕は、現に、千葉のお土産としてその病気を持って来ている。もうほとんど治ってはいるようなものの、今後また幾年かはいるようなことがあって、再び病気が重くなって、病監にはいらなければならぬようになったらどうだろう。
千葉では、僕等が出たあとですぐ、同志の赤羽巌穴が何でもない病気で獄死した。その後大逆事件の仲間の中にも二、三獄死した。今後もまだ続々として死んで行くだろう。
僕はどんな死にかたをしてもいいが、獄死だけはいやだ。少なくとも、あらゆる死にかたの中で、獄死だけはどうかして免かれたい。
収賄教誨師[#「収賄教誨師」は太字]
獄中で一番いやなのは冬だ。
綿入れ一枚と襦袢一枚。シャツもなければ足袋もない。火の気はさらにない。日さえ碌には当らない。これで油っ気なしの食物でいるのだから、とても堪るものではない。
体操をやる、壁を蹴る。壁にからだを打つける。運動に出れば、毎日三十分ずつ二回の運動時間をほとんど駈足で暮す。しかしそんなことではどうしても暖かくならない。
冷水摩擦をやる。しかもゆうべからの汲み置きのほとんどいつも氷っている水だ。この冷水のほかにはほとんどまったく暖をとる方法がない。それで朝起きるとまず摩擦をやる。夜寝る前にも、からだじゅうが真赤になるまでこすって、一枚こっきりの布団に海苔巻きになって寝る。かしわ餅になって、と人はよく言うが、そんなことで眠れるものではない。
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