まらない。僕なんぞも前にはずいぶんあばれたもんだ。それでも減食を五度暗室を三度食ってからは、もう大がいのことは叱られない。歌を歌おうと、寝ころんでいようと、何でも勝手気儘な振舞いができるようになった。」
四十余りになるその男は、僕を何と思ったのか、しきりに説いて聞かせた。実際その男は減食の五度や六度や、暗室の三度や四度や、また五人十人の看守の寄ってたかっての蹴ったり打ったりには、平気で堪えて来れそうな男だった。からだもいいし、話しっぷりもしっかりしているし、いかにもきかぬ気らしいところも見えた。
僕は例の強盗殺人君でずいぶんその我儘を通している囚人のあることは知っていた。しかしそれは死刑囚だからとばかり思っていた。死刑囚では、なおそのほかにも、その後そんなのを二、三人見た。が死刑囚でない囚人が、それだけの犠牲を払ってその自由をかち得ているということは、この話で初めて知った。
そしてその後千葉で、初めて、そういう男に実際にぶつかった。今でもその名を覚えているが、渡辺何とかいう、僕と同じ罪名の官吏抗拒で最高限の四年喰っている男だった。
この男とは、東京監獄でも同じ建物にいて、よく僕の室の錠前の掃除をしに来たので、その当時から知っていた。初め窃盗か何かで甲府監獄にはいっていたのを、看守等と大喧嘩して、そのために官吏抗拒に問われて東京監獄へ送られて来ていたのであった。額から鼻を越えて眼の下にまで延びた三寸ばかりの大きさの傷があった。また、同じ大きさの傷が両方の頬にもあった。その他頭にも数カ所の大きな禿になった傷あとがあった。それはみな甲府で看守に刀で斬られたのだそうだ。
「初めは私等の室の十二、三人のものが逃走しようという相談をきめて、運動に出た時に、ワアァと凱《とき》の声をあげたんです。」
と、ある時その男は錠前を磨きながら、元気のいいしかし低い声で話し出した。
「すると、一緒にいた何十人のものが、やはり一緒にワアァと凱の声をあげたんです。看守の奴等びっくりしやがってね。その間に私等十何人のものは、運動場の向うの炊事場へ走って行って、そこに積んであった薪ざっぽを一本ずつ持って、新しく凱の声をあげて看守に向って行ったんです。すると看守の奴等は青くなって、慄えあがって、手を合せて、どうか助けてくれって、あやまるんです。」
渡辺はちょいちょい看守の方を窃み見ながら、
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