いたんだがね。首をつって仕方がないんで、とうとうこっちへ移されちゃったんだ。それで、夜じゅう、ああして手錠をはめられて、からだが利かないようにされてるんだよ。」
こうして、夜になると手錠をはめられ、朝になるとそれをはずされて、それが幾日も、幾日も、たしか二、三カ月は続いたかと思う。僕はその男が何で自殺しようとしたのか、その理由は知らなかった。ただ、もう三度も四度も、五度も六度も、首をつりかけたりあるいはすでにつっていたりするのを発見された、ということだけを聞いた。
そしてある晩、その男が両手を後ろにして帯のところで手錠をはめられているのを見て、どうしてあんな風をして寝られるだろうと思って、試みに僕も手拭で苦心して両手を後ろでくくりつけて寝て見た。初めはからだを横にして寝て見たが、肩や腕が痛くて堪らんので、こんどはうつ伏せになった。しかしそれではなお苦しいので、またからだを前とは反対に横にした。こうして一晩じゅう転輾して見ようかとも思ったが、どうしても堪えられないで、すぐに手拭を解いてしまった。
それから、これは僕等のとは違う建物にいた男だが、湯へ往復する道で、やはり手錠をはめて、足枷までもはめて、そして重い分銅のようなものを鎖で引きずって歩いているのによく出食わした。
その男もやはり二十五、六の、細面の、どちらかと言えば優男であった。
分銅のようないわゆるダ(漢字を忘れた)という奴を引きずって歩かせる、という徴罰のあることは、かねて聞いていた。かつて幼年学校時代に、陸軍監獄の参観に行って、そのダの実物を見たこともあった。しかし、それともう一つの、何でも革具で、ハンドルを廻すとそれがぎゅうぎゅうからだを締めつけるという、そして二、三分もそれを続けるとどんな男でも真蒼になってしまうというのは、今ではもうほとんど使わないということは、その時にも聞いた。
しかるに今、そのダを引きずっているのを、眼の前に見るのだ。その男は、一列になった大勢の一番あとに、両足を引きずるようにして、のろのろというよりもむしろようやく足を運んで行った。が、その足の運びかたよりも、さらに見るに堪えなかったのは、その気味の悪いほど蒼ざめた顔の色と、やはり同じように蒼ざめた痩せ細ったその手足とであった。
どんな悪いことをしてこんな懲罰を食っているのか、またいつからこんな目に遭っているのか、
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