える。そしていよいよ、前にいた例の片輪者の建物に連れて行かれて、お馴染のみんなのにこにこした目礼に迎えられて、前にいた隣りの室に落ちついた時には、本当に久しぶりで自分のうちへ帰ったような気持がした。
監獄を自分の故郷や家と同じに思うのは、はなはだ怪しからぬことでもあり、またはなはだ情けないことでもあるが、どうも実際にそう感じたのだから仕方がない。巣鴨は僕が初めて既決囚として入監させられた、したがってもっとも印象の深い生活を送らせられた監獄だ。それに囚人は、他のいっさいの世界と遮断されて、きわめて狭い自然ときわめて狭い人間との間に、その情的生活を満足させなければならないからだ。かてて加えて、囚人の生活は、とかくに主観に傾きがちのすこぶる暗示を受けやすい、そのいっさいのきわめて深い点において、たしかに獄外での普通の生活の十年や二十年に相当する。
この故郷のことが、自分の幼少年時代のことが、しきりに思い出される。ことに刑期の長かった千葉ではそうだった。
僕は出たが、どうせ当分は政治運動や労働運動は許されもすまいから、せめては文学にかこつけて、平民文学とか社会文学とかの名のつく文芸運動をやって見ようかと思った。そしてその手始めに、自分の幼少年時代の自叙伝的小説を書いて見ようかと思った。軍人の家に生れて、軍人の周囲に育って、そして自分も未来の陸軍元帥といったような抱負で陸軍の学校にはいった、ちょっと手におえなかった一腕白少年が、その軍人生活のお蔭で、社会革命の一戦士になる。というほどのはっきりしたものではなくても、とにかくこの径路をその少年の生活の中に暗示したい。少なくとも、自分の幼少年時代のいっさいの腕白が、あらゆる権威に対する叛逆、本当の生の本能的生長のしるしであったことを、書き現して見たいと。
僕は自分の遠い過去のことを思い出してはこの創作の腹案に耽った。そしてそのかたわら、語学の稽古がてらに、原文のトルストイの『幼年時代、少年時代、青年時代』や、ドイツ訳のコロレンコの『悪い仲間』などを見本に読んだ。トルストイのには、その生活があまりに僕自身のとはかけ離れているので、ほとんど何の興味もひかなかった。『悪い仲間』にはすっかり同感した。その主人公の父は裁判官であった。裁判官と軍人とに大した違いはない。が僕には不幸にも、裁判官がどんな性質のものであるかを教えてくれる
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