だ、其の生れた場所と時代とにのみ、善いものである。善や美が絶対的存在であるとか、又は永遠的観念であるとかは信ずる事が出来る。しかし其の表現は人心の様式によって変わる。選ばれた人々にとっての美も、民衆にとっては醜であり、又選ばれた人々の欲望と同じ正当の権利を持っている民衆の欲望に応じない事もある。二十世紀の民衆に過去の世紀の貴族的社会の芸術や思想を強いる事は出来ない。
 紳士閥の批評家は屡々《しばしば》云う。民衆は自分の階級よりも上の階級のものを主人公とした小説や脚本でなければ喜ばない。富裕な社会の描写は民衆をして自分自身の貧困の倦厭《けんえん》を忘れさせるものであると。なるほど、民衆が半睡眠状態にある間は或はそうであるかも知れない。しかし、其の人格の感情が目覚め其の市民としての品位を自覚するようになれば、民衆は斯くの如き従僕芸術に恥じなければならない。そして又、民衆を尊敬する人達の義務は、斯くの如き芸術から民衆を救い出す事にある。
 民衆は紳士閥芸術の残り物を集めるよりも、もっと遥かに善いしなけれければならない事を持っている。現在の芸術のお客を増やす事を努めなくてもいい。吾々は現在の芸
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