新しき世界の為めの新しき芸術
大杉栄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)彼地此地《あちこち》で

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(例)[#地から1字上げ]〔『早稲田文学』一九一七年十月号〕
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       一

 去年の夏、本間久雄君が早稲田文学で「民衆芸術の意義及び価値」を発表して以来、此の民衆芸術と云う問題が、僕の眼に触れただけでも、今日まで十余名の人々によって彼地此地《あちこち》で論ぜられている。其の都度《つど》僕は、一つは民衆と云う事をいつも議論の生命とし対象としている僕自身の立場から、もう一つは誰れ一人として本当に此の民衆芸術と云う問題の真髄を掴えている人のいないらしいのに対する遺憾から是非とも其のお仲間入りをしたいとは思いながらも、遂に其の意を果たす事が出来なかった。
 もう丸一年にもなる。文壇のいつもの例に拠ると、もう此の問題も消えて無くなる頃である。それでなくとも、民衆には丸で無関心な、若しくはロメン・ロオランの云ったように、民衆を少しも軽蔑しないと云う事を却って軽蔑のたねにする、即ち其の膏汗で自分等の力を養ってくれた親の田舎臭いのを恥じる、成上り者共の多い文壇の事である。五人や十人の、篤志なしかし無邪気な、或は新しもの好きの、或は又物知りぶりや見え坊の先生等が、其の一角で少々立ち騒いで見たところで、殆んど何んの跡かたも残さずに過ぎ去られて了《しま》うに違いない。
 しかし僕は、飽くまでも此の問題は、いつものような文壇の流行品扱いを避けさせたい。民衆芸術は、ロメン・ロオランの云ったように、流行品ではない、ディレタント等の遊びではない。又、新しき社会の、其の感情の、其の思想の、已むに已まれぬ表現であると共に、老い傾いた旧い社会に対する其の闘争の機関である、ばかりではない。ロメン・ロオランが起草した、民衆劇場建設の檄にもあるように、此の問題は実に、民衆にとっても亦芸術にとっても、死ぬか生きるかの大問題である。
 大げさな事を云う、と笑ってはいけない。殊に、今まで何んの彼のと我物顔に民衆芸術を説いていた人達には、単に闘争の機関と云っただけでも既にしかめっ面をしなければならない怪《け》しからぬ事のように聞えるのであろうが、更に生きるか死ぬかの大問題だなどと云えば、きっと途方もない大げさな物の云いかたに聞えるに違いない。しかし、これが大げさに響かないようにならなければ、民衆芸術の本当の意義や価値は分からないのだ。

       二

 ロメン・ロオランは、前世紀の末年から現世紀にかけて非常な勢で拡まった民衆芸術の大運動に就いて、次ぎの二つの事実を記して置きたいと云って、民衆が急に芸術の中に勢力を得て来た事と、民衆芸術と云う総名の下に集まる諸説の極めて紛々たる事とを挙げている。
「現に民衆劇の代表者と云われる人々の間に、全く相反する二派がある、其一派は、今日有るがままの劇を、何劇でも構わず、民衆に与えようとする。他の一派は、此の新勢力たる民衆から、芸術の新しい一様式、即ち新劇を造り出させようとする。一は劇を信じ、他は民衆に望みを抱く。」
 此の「諸説」は、日本ではまだ或る理由から、さほど明瞭には「紛々」としてもいないが、若し民衆芸術に就いての議論がもっと盛んになり、或は其の議論の実行が現われるようになれば、どれほど「紛々」として来るか分からない。今日でも既に其の萌芽は十分にある。芸術を信ずるものと、民衆に望みを抱くものと、其の中間をぶらついているものと、いろいろある。
 民衆即ち People と云う言葉は、最初本間久雄君によって、平民労働者と解釈された。本間君が主として其の人の説に拠《よ》ったエレン・ケイは、「休養的教養論」の最初に「八時間の労働と八時間の睡眠と云う事と共に八時間の休養と云う正当な要求を其の旗印としている群集」と云って、明かに平民労働者を其の休養的教養の対象としている。ロメン・ロオランの民衆即ち People が平民労働者である事は後に明かになるであろう。然るに、此の People は民衆ではない、平民労働者ではない、謂《い》わゆる民衆劇即ち People's Theatre の People's は一般的(general)とか普遍的(universal)とかの意味で、アメリカなどでは People をそう云う事が沢山ある、と云い出した人さえある。アメリカ帰りの語学者山田嘉吉君及び其の細君の山田わか子君の如きそれである。しかしこんな場合には、アメリカ通とか語学通とか云う事それ自身が間違いのもとである。石坂養平君の如きも、矢張りそんなような意味で、「民衆芸術家としての中村星湖」を論じている。
 次ぎには、民衆と云う文字と芸術と云う文字との間にはいる
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