ことを知らなかった。
久しく主人と奴隷との社会にあった人類は、主人のない、奴隷のない社会を想像することができなかった。人の上の人の権威を排除して、われ自らわれを主宰することが、生の拡充の至上の手段であることに想い到らなかった。
彼等はただ主人を選んだ。主人の名を変えた。そしてついに根本の征服の事実そのものに斧を触れることをあえてしなかった。これが人類の歴史の最大誤謬である。
われわれはもうこの歴史の繰返しを終らねばならぬ。数千年数万年間のピルグリメエジは、すでにわれわれにこの繰返しの愚を教えた。われわれはこの繰返しを終るために、最後の絶大なる繰返しを行わねばならぬ。個人としての生の真の拡充のために、人類として生の真の拡充のために。
今や近代社会の征服事実は、ほとんどその絶頂に達した。征服階級それ自身も、中間階級も、また被征服階級も、いずれもこの事実の重さに堪えられなくなった。征服階級はその過大なるあるいは異常なる生の発展に苦悩し出して来た。被征服階級はその圧迫せられたる生の窒息に苦悩し出して来た。そして中間階級はまた、この両階級のいずれもの苦悩に襲われて来た。これが近代の生の悩みの主因である。
ここにおいてか、生が生きて行くためには、かの征服の事実に対する憎悪が生ぜねばならぬ。憎悪がさらに反逆を生ぜねばならぬ。新生活の要求が起きねばならぬ。人の上に人の権威を戴かない、自我が自我を主宰する、自由生活の要求が起きねばならぬ。はたして少数者の間にことに被征服者中の少数者の間に、この感情と、この思想と、この意志とが起って来た。
われわれの生の執念深い要請を満足させる、唯一のもっとも有効なる活動として、まずかの征服の事実に対する反逆が現れた。またかの征服の事実から生ずる、そしてわれわれの生の拡充を障礙する、いっさいの事物に対する破壊が現れた。
そして生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実がその頂上に達した今日においては、階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。階調は偽りである。真はただ乱調にある。
今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。
僕は僕自身の生活において、この反逆の中に、無限の美を享楽しつつある。そして僕のいわゆる実
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