征服の事実
大杉栄

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 樗牛全集の中に、ブランデスの何かの本から抜いた、次の文がある。
「少なくともヨーロッパの四大国民の名は、いずれもみな外国の名である。フランスの名称は、ライン河の西岸に棲んでいたフランク人から来たもので、この国民の祖先たる古のケルト人とは、何の因縁もないのである。イギリスの名は、もとドイツの一地方から来たもので、アングロサクソン民族とは、何の血族上の連絡もないのである。ロシアの名は、もと北方の起原で、スカンジナビアの一民族たる、ロゼルの転訛したものである。プロシャはプロイセンというスラブの一蛮族の名で、十二世紀の終り頃に、ドイツにはいったのである。」
 この事実は、僕が今ここに述べようとすることと、あるいは関係のあるものもあり、あるいはさほどに関係のないのもあるかも知れぬ。けれども、これを読んだ時の僕自身に取っては、これが深い社会事実を思わせる、力強い暗示であったのである。
 征服だ! 僕はこう叫んだ。社会は、少なくとも今日の人の言う社会は、征服に始まったのである。
 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスとは、その共著『共産党宣言』の初めに言っている。「由来一切社会の歴史は階級闘争の歴史である」と。けれどもこの階級闘争の以前に、またそれと同時に、種族の闘争があった。そしてそこに、この征服という事実が現れた。

 人類がまだ動物の域にいた頃、その住家は、恐らくは熱帯地の何処かであったろうと思われる。そして多くの事実は、人類の始現を見た地方として、南方アジアを指している。
 ここに初期の人類は、自然の富饒の間に暖かい空気の下に、動物のような生活を送りながらも、なお多少環境を変更し、または他の肉食獣を避けもしくは欺くに足る知識もあり、非常な速度で繁殖することができた。そして血族関係から生じた各集団の人口が多くなって、互いに接触し衝突するようになれば、その集団は思うままに四方八方に移住した。かくして長い間、原始人類の間に、安楽と平和とが続いた。この時代が、昔からよく言う、いわゆる黄金時代であったのである。
 そのある集団は、いよいよ遠く、あるいは島嶼にまで移り住んで、他の集団と接触することもなく、したがって何の煩わされることもなく、その単純な半獣的存在を続けた。今日なお世界の各地に残っている原始人種はすなわちこれである。けれどもさほどに遠くまで中心地を離れなかった集団同士の間に、やがてその人口の迅速な増加とともに、相互の接触と衝突とが生じて来た。そしてそこに、従来の平安な、半獣的自由の生活が失われて、いわゆる文明が生れかけて来た。歴史が始まりかけて来た。

 その間にこれらの各集団は、その共通起原の伝習も痕跡も失って、各々違った言語や風習や宗教を持つようになり、まったく異なった種族を形づくってしまった。そして各種族は互いに接蝕するごとに、衝突となり戦争となって、残酷な仇同士となった。
 この形勢は、発明、しかも主として攻撃と防禦との方法を生産することに向った発明の、有力な刺激になった。戦争の勝敗は今も昔も、個人の勇敢ということよりも、むしろ、武器の機械的優劣によるものである。かつ尚武心は発達した。野心深い酋長等は、互いに政略を競い始めた。
 グンプロウィツとラフエンホフアとは、この種族間の闘争によって社会が創生せられたことを、巧みに論証している。種族闘争の第一歩は、一種族による他の種族の征服である。他の種族よりも優れた武器と戦略的才能とを持っている一種族が、勝利を占めて征服者となる。そして他の種族は被征服者の地位に落ちる。
 この征服によって、まったく異なった二種族が密接な接蝕をすることとなる。しかし彼等はとうてい同化することができない。いわばその社会は両極に分れるのである。征服者は常に被征服者を蔑視する。あらゆる方法をもって奴隷化する。被征服者はまた、仕方なしに服従しながらも、征服者の暴力以外のいっさいのものを認めない。かくして互いに敵視し反感する二種族が、社会の両極を形づくることとなる。
 けれどもこの二種族の不平等は、地位の不平等ということ以上に、なおあるものがあったのである。もともとこの二種族は先きにも言ったごとく、まったく異なれる種族である。彼等は異なれる言語を使っている。異なれる神を崇拝している。異なれる様式と礼拝とを行っている。異なれる風俗と習慣と制度とを持っている。そして被征服種族は、それらのものの一つでも失うよりは、むしろ退治し尽されることを望んでいる。征服種族はその臣
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