ことをあまり面白く思っていなかったらしい。一昌伯父についてもやはり同じようだった。
 そして父や母がほんとうに親戚らしくつきあっていたのは、山田の伯母一家だけらしかった。そしてまた、僕が多少の影響を受けているのも、この山田一家からだけらしい。僕の名の栄というのも、この伯母の名のよみを取ったものだ。
 しかし肉親というものはさすがに争われない。猪伯父も一昌伯父も吃った。丹羽の老人も吃ったようだ。父も少し吃った。そして僕がまた吃りだ。

   二

 父には学歴はまるでなかった。
 ただ子供の時から本を読むのが好きで、丹羽の老人のところから本を借りて来ては読んでいた。そしてその土地の習慣で、三男の父は一時お寺にはいって坊主になっていた。が、西南戦争が始まって、初めて青雲の志を抱いて、お寺を逃げ出して上京した。
 そしてまず教導団にはいって、いったん下士官になって、さらにまた勉強して士官学校にはいった。

 父は少尉になると間もなく母と結婚して、丸亀の連隊へやられた。そしてそこで僕が生れた。町の名も番地も知らない。戸籍には明治十八年五月十七日生とあるが、実際は一月十七日だそうだ。当時尉官はほ
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