この社会主義のために一生を捧げたい」というようなことを言った。
 そして最後に堺が立って、「ここには資本家の子があり、軍人の子があり、何とかがあり、何とかがあり、実にわれわれの思想は今や天下のあらゆる方面にまで拡がっている。われわれの運動は天下の大運動になろうとしている。われわれの理想する社会の来るのも決して遠いことではない」という激励の演説があった。
 僕はそう言われて見ると、本当にそんなような気がして、非常にいい気持になって下宿へ帰った。その日幸徳がそこにいたかどうかはよく覚えていない。
 それ以来僕は毎週の研究会には必ず欠かさずに出た。そしてそれ以外の日にもよく遊びに行ったが、ことに下宿を登坂や田中のいた月島に移してからは、ほとんど毎日学校の往復に寄って、雑誌の帯封を書く手伝いなどして一日遊んでいた。

   六

 平民社は幸徳と堺と西川光二郎と石川三四郎との四人で、石川を除く外はみな大の宗教嫌いだった。でもそとから社を後援していた安部磯雄や木下尚江は石川とともに熱心なクリスチャンだった。そしてそこに集まって来た青年の大半がやはりクリスチャンだった。当時の思想界では、キリスト教
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