茶碗を両手に持たして、みんなの方に向かして立たした。僕は先生の方から見えないのを幸いに、いつも舌を出したり目をむいたりしてみんなをからかっていた。
この教室の向うに教員室があって、そのまた向うに物置の土蔵があった。僕はその教員室に幾度とめ置きを食ったか知れない。そして時々はその真暗な土蔵の中にも押しこまれた。そこには古い机や椅子が積み重ねられてあった。だんだん目が馴れて来ると、鼡がその間をちょろちょろするのがよく見えた。あんまり長く置かれると、退屈して、よくそこに糞をたれてやった。
が、生徒の面倒をよく見てくれたのは、それらの先生ではなくって小使だった。背の低い、いつもにこにこしたのと、背の高い、でこぼこの恐い顔のと、二人いた。二人とも、ひまがあると、小使室で、大きな炉の中の大きな鉄瓶の前で、網をすいていた。僕はよく先生に叱られてはこの小使室へあまえに行った。そして小使の言うことは僕もよく聞いた。
三
こうして僕は毎日学校で先生に叱られたり罰せられたりしていた間に、家ででもまた始終母に折檻されていた。母の一日の仕事の主な一つは、僕を怒鳴りつけたり打ったりすることであるようだった。
母の声は大きかった。そしてその大きな声で始終何か言っていた。母を訪ねて来る客は、大がい門前まで来るまでに、母がいるかいないか分るというほどだった。その大きな声を一そう大きくして怒鳴りつけるのだ。そしてその叱りかたも実に無茶だった。
「また吃る。」
生来の吃りの僕をつかまえて、吃るたびにこう言って叱りつけるのだ。せっかちの母は、僕がぱちぱち瞬きしながら口をもぐもぐさせているのを、黙って見ていることができなかったのだ。そして「たたたた……」とでも吃り出そうものなら、もうどうしても辛抱ができなかったのだ。そしてこの「また吃った」ばかりで、横っ面をぴしゃんとやられたことが幾度あったか知れない。
「栄。」
と大きな声で呼ばれると、僕はきっとまた何かの悪戯が知れたんだろうと思って、おずおずしながら出て行った。
「箒を持っておいで。」
母は重ねてまた怒鳴った。僕は仕方なしに台所から長い竹の柄のついた箒を持って行った。
「ほんとにこの子は馬鹿なんですよ。箒を持って来いと言うと、いつも打たれる[#「打たれる」は底本では「打れたる」と誤記]ことが分っていながら、ちゃんと持って来るんですもの。そして早く逃げればいいのに、その箒をふりあげてもぼんやりして突っ立っているんでしょう。なお癪にさわって打たない訳には行かないじゃありませんか。」
母は僕の頭をなでながら、やはり軍人の細君の、仲好しの谷さんに言った。
「でも、箒はあんまりひどいわ。」
谷のお母さんもやはり家の母と同じように大勢の子持だった。そしてやはりよくその子供を打った。しかし母にこの抗議をする資格は十分にあったのだ。
「それや、ひどいとは思いますがね。もうこう大きくなっちゃ、手で打つんではこっちの手が痛いばかしですからね。」
谷のお母さんは、優しい目で「でも、ひどいわね」という意味を僕に見せながら、それでもやはりこれには同感しているようだった。そして話はお互いの子供の腕白さに移って行った。
が、僕は母の言うこの「馬鹿なんですよ。」に少々得意でいた。そして腹の中でひそかにこう思っていた。
「箒だってそんなに痛かないや。それに打たれるからって逃げる奴があるかい。」
父はちっとも叱らなかった。
「あなたがそんなだから、子供がちっとも言うことを聞かないんですよ。」
母はよく父を歯がゆがって責めた。そして日曜で父が家にいる時には、今日こそは是非叱って下さいと迫った。
「今日は日曜だからな、あしたうんと叱ってやろう……うん、そうか、また喧嘩をしおったのか……何、勝った?……うん、それやえらい、でかした、でかした……」
父は母が迫れば迫るほど呑気だった。
母はたべ物にずいぶん気むずかしかった。ことに飯にはやかましかった。
「僕のもめっかちだよ。」
母が飯の小言を言うと、僕もすぐそれについて雷同した。
「心が曲っていると、めっかちのご飯が行くんだ。お父さんのなんか、それやおいしい、いいご飯だ。」
僕は父がこう言うんで、ほんとうかしらと思って、無理に父の茶碗の飯を食って見た。しかしそれは、勿論、やはりめっかちだった。
父はこんなふうで、女中達にも小言一つ言ったことがなかった。
父は家のことも子供のこともすっかり母に任しきりにしていたのだ。それで、小言も言わない代りに、家のことや子供等とはまるで没交渉でいたのだ。朝早く隊へ出て、夕方帰って来て、夜は大がい自分の室で何か読むか書くかしていた。で、子供等は朝飯と夕飯の時のほかは、めったに父と一緒のことはなかった。
それでも父は僕を軍
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