も大きいのが一つと小さいのが一つとあった。そしてその間に、僕等が「天文台」と呼んでいたものが立っていた。実際そこには気温、気圧、風力、雨量などを計るかなり精巧な器械や、地震計などが備えつけられてあった。
 中学校の三、四年程度までしかやらない初等学校で、こんな設備のあるのは、恐らくは今でも他にはあるまいと思う。だが、この設備は、生徒のためではなくって先生のためのものだったようだ。博物と理化の先生が校長とよく知っていて、最初学校を建築する時に、その先生が設計したのだといううわさがあった。先生は一人の若い助手と一緒に、いつも、やはりこの学校の分には過ぎた立派な設備の理化学実験室や、この天文台や植物園で暮していた。が、生徒にそれを十分利用することは少しも教えなかった。そして僕等が学校を出てから、どこかからその批難が起って、この天文台は師範学校かどこかへ売ってしまった。
 僕はこの植物園の中を、小さな白い板のラテン語の学名や和名などを読みながら、歩き暮した。そして絶えず今までの生活を顧みながら考えていた。

 この反省はさらに、僕を改心というよりもほかの、他の方向へ導いて行った。
 それは僕がはたして軍人生活に堪え得るかどうかということであった。吉野の事件では、将校会議で僕の退校処分を主張した士官もあったそうだが、そして北川大尉の代りに来た国の津田大尉と受持の吉田中尉とのお蔭でようやく助かったのだそうだが、実際僕は退校する方がいいのじゃあるまいかと考えだしたことだ。
 下士どもの僕に対する犬のような嗅ぎまわりは、僕の改心に何の頓着もなく続いた。そして時々やはり、何かの落度を見つけた。僕はまず、はたしてこの下士どもの下に辛抱ができるかと思った。彼等を上官として、その下に服従して行くことができるかと思った。尊敬も親愛も何にも感じていない彼等に、その命令に従うのは、服従ではなくして盲従だと思った。
 そしてこの盲従ということに気がつくと、他の将校や古参に対する今までの不平不満が続々と出て来た。
 僕は初めて新発田の自由な空を思った。まだほんの子供の時、学校の先生からも遁れ、父や母の目からも遁れて、終日練兵場で遊び暮したことを思った。
 僕は自由を欲しだしたのだ。

 こうした気持はまた読書によってもよほど誘い出されたことと思う。
 学校では、学校で渡す教科書や参考書のほかは、いっさい読書を厳禁してあった。しかしいろんな書物がひそかに持ちこまれた。
 もう人の名も本の名もよくは覚えていないが、たとえば大町桂月とか塩井雨江とかいうような当時の国文科出身の新進文学士や、久保天随とか国府犀東とかいう漢文科出身の新進文学士が、しきりに古文もどきや漢文もどきの文章を発表した時代だ。僕はそんなものをしきりに耽読した。
 僕が今ここに塩井雨江という名を挙げたのは、その人の何かの文章の中に「人の花散る景色面白や」とあったのが、当時の僕の読んだものの中で覚えているたった一つのことだからである。誰の何が僕にどんな影響を与えたかは何にも記憶しない。
 しかしたぶん、それらの本の中には、恐らくは幼稚なしかし自由で奔放な、ロマンティズムが流れていたのではなかったかと思う。

 そんな読書の影響であろうが、僕もその頃から擬古文めいたものを書いていた。これは三年になってからのことであるが、「離宮拝観記」というものを書いて、四宮憲章という漢文の先生から、「才多からざるに非ず、文巧みならざるに非ず、ただ柔弱、以て軍人の文とす可らず」という批評を貰ったことを覚えている。その前半がきっとよほどのお得意で、そして後半がよほどの不平だったのだろうと思う。
 が、二年の時の何とかいう国語の先生は、僕のこの「才」を大いに愛してくれた。そしてある雪の日の作文の時間に、こんな日の練兵は「豪快」でもあろうが、しかしまた何とかでもあろうと言って、その何とかという熟字を教えてくれた。僕はさっそく僕の文章の中にその熟字を使った。
 それから数日して、僕は生徒監に呼ばれて、本当にそう思ったのかと尋ねられて、よし本当でもそんなことは書くものでないと叱られた。あとで聞くと、先生もそんな字を教えるんじゃないと叱られたそうだ。
 僕は先生の家へ一、二度遊びに行った。先生は、そうした(七字削除)しさや、先生が判任官なので軍曹とともに一緒に食事しなければならないことなどを、しきりにこぼして聞かした。
「君はいい時に出た。僕もとうとう出されちゃったよ。何か仕事はないかね。」
 その後五、六年たって、ふと道で先生と会った時、先生はさびしそうに笑いながら言っていた。

 その夏僕は、訓育(実科)では未曽有の十九点何分(二十点満点)で一番、学科では十八点何分で二番、操行ではこれまた未曽有の十四点何分で下から一番、平均して
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