が、急に意地悪くなり出した。そして二人で僕のあとを嗅ぎ廻っては、何やかやと生徒監に報告した。
その結果はほとんどのべつ幕なしの外出止めとなった。一週間にたった一日の日曜の外出を止められるんだ。それも、汚れた靴下を戸棚の奥に突っこんであったとか、昼、寝台に腰かけていたとか。その他、今ちょっと思い出せないような馬鹿馬鹿しいことばかりでだ。
二階の僕等の寝台の向いに下士官等の室があった。僕等はよくそこへ、煙草がなくなると、夜盗みに行った。夜は週番の下士が一人その下の室に寝ていた。
ある時もみんなの煙草が切れてしまった。河野が一番に盗みに行った。その次に僕が行った。が、僕はその室へはいって行って机の引き出しに手をかけた時、「コラ」と言って捕まってしまった。それは週番の稲熊軍曹だった。
僕は当直の生徒監の室へ引っぱって行かれた。
「実は数日前から、もっともその以前にもちょいちょいあったのですが、下士室でみんなの煙草がよくなくなりましてことにきのうは私の金が少々なくなったのです。で、きょうは是非その犯人を取りおさえようと待ち構えていましたが、はたしてこの大杉が室へ忍びこむのを見まして、今取りおさえて来ました。」
軍曹は勝ち誇ったようにして吉田中尉に報告した。中尉は僕等第三期生の受持で、国の出身で、そして僕を可愛がっていた唯一の士官だった。中尉は青くなった。そして軍曹には詳しい報告書を書いて来るようにと言ってその出て行ったあとで僕を訊問し出した。
「煙草なぞ盗ったことはありません。金も勿論のことです。きょうはズボンのボタンが一つなくなったので、今晩じゅうにつけて置こうと思ってそれを取りに行ったのです。」
僕はあくまで泥棒の事実は否認した。
「そのズボンというのはどのズボンか。」
「今はいているこのズボンです。」
僕はそう言って、軍曹に引っぱられて来る途中にあらかじめ引きちぎって置いた、ボタンのあとを見せた。
「うん……」
中尉はこううなずいたまましばらく黙って何か考えていた。金でも煙草でも、とにかく盗んだとあれば、勿論すぐさま退校だ。また、単にボタンを取りにはいったとしても、夜無断ではいるべからざる室へはいったのだから、重営倉は免れない。それに、ただそうとして処分して置いても、下士からの報告の嫌疑は免れない。それでは本人の将来にもかかわる。また自分の責任にもなる。
中尉は軍曹を呼んだ。そしてこういったその考えを、僕にも聞かせるようにして話して、本人の将来のためにその報告書を破ってくれないかと頼むように言った。
軍曹は不承不承に承知した。が、それ以来軍曹や曹長の目はますます僕の上に鋭くなった。
五
第二期生付の何とかという中尉は、自分の受持でない僕に対しては、ほとんど無関心だった。が、第四期生付の北川大尉は、そのまだ第一期生付であった頃から、妙に僕を憎みだした。
学校の前庭で彼に会う。僕はその頃の停止敬礼というのをやる。一間ばかり前で止まって、挙手の礼をするのだ。すると彼はきまってしばらく僕を睨みつけて、帽子のひさしに当てた指先の位置がどうの、掌の向けかたがどうのと、何かの小言を言った。そしてうまく上衣かズボンのボタンでもはずれているのを見つければ、すぐその次の日曜日は外出止めと来た。また、めずらしく今日は外出ができると思って喜んでいると、銃器の検査だとか清潔検査だとか触れて寝室にはいって来て、銃の手入が足りないとか靴に埃がかかっているとか言って、せっかく服まで着換えているのを外出止めにした。
ある日大尉は、夕飯の時に、きょうの月は上弦か下弦かという質問を出した。
「大杉!」
僕は自分の名を呼ばれて立った。それが下弦だということは勿論僕は知っていた。けれども僕には、そのかという音が、どうしても出て来なかった。吃りにはか行とた行、ことにか行が一番禁物なのだ。いわんや、さらにその下にもう一つか行のげが続くのだ。
「上弦でありません。」
仕方なしに僕はそう答えた。
「それでは何だ?」
「上弦でありません。」
「だから何だと言うんだ?」
「上弦でありません。」
「だから何だ?」
「上弦でありません。」
「何?」
「上弦でありません。」
問い返されればますます言葉の出て来ない僕は、軍人らしく即答するためには、どうしてもそう答えるよりほかに仕方がなかった。それを知っているみんなはくすくす笑った。
「よろしい。あしたは外出止めだ。」
大尉はそう言い棄てて、「直れ!」の号令でみんなが直立不動の姿勢をとっている間を、さっさと出て行ってしまった。
吃りのことのついでに、僕の吃りをもう少しここに書いて見よう。
母はそれを小さい時にわずらった気管支のせいにしていた。が、父方の親戚に大勢吃りのあることは前にも言った。
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