いうのに学生大会が開かれて、二年三年四年の全生徒は校長と運命をともにするという満場一致の決議をした。

 この騒ぎは学年試験を前に控えて一カ月ばかり続いた。そして最初の同盟休校というのが同盟退校の決議にまで進んだ。
 もうこんな学校に用はないというので、ガラス戸は滅茶苦茶にこわされた。そして生徒控室にあった机や椅子は、ほとんど全部火鉢の中のたき木になってしまった。
 ある先生は、組合と内通しているというので、夜車で練兵場を通るところを袋だたきにされた。
 ある日父と母とは茶の間の火鉢のそばへ僕を呼んだ。
「この頃お前はちっとも学校へ行かんで騒いでいるそうだが……」
 父の話は、組合から生徒の父兄に送って来たものによって、多少校長を批難して、明日からでも学校へ出ろというようなことであった。
「いやです。」
 僕はただ一言そう言ったきりで、席を蹴って起ちあがった。
「あの子はいったん何か言いだしたら、何があっても聞かんのですから、どうぞそのままにほおって置いて下さい。」
 母はしきりに父をなだめて、懇願しているようだった。

 しかしこの騒ぎは、組合で不信任案を取消すということと、校長が辞職するということとで治まって、生徒は校長の懇請でようやく学年試験を受けることになった。
 三好校長は深田教頭と一緒に、長野の中学校へ行くこととなった。その送別会が仲町の何とかという料理屋の広間で開かれた。校長は大酒家だった。みんなに一合ばかりの酒がついた。校長は初めから終りまでその四角な顔をにこにこさせていた。教頭はお得意のいい声で、その郷里の白虎隊の詩を吟じた。
 そして校長がいよいよ出発する時には、全校三百余の生徒が、校長の橇を真ん中にして降り積る雪の中を七里の間、新潟まで送って行った。

 そのあとへ、広田一乗という、名前から坊主臭いしかしハイカラな新しい文学士が来た。が、この新校長は、来る早々校友会の席上で記憶術の実験か何かをやって、すっかり生徒の評判を悪くしてしまった。そして、生徒がみな素足ではいる習慣になっていた、御真影を安置してある講堂へ、校長が靴ばきのままはいったとかいうので、危く排斥運動が起りかけさえした。

 その春、僕は二度目の幼年学校の入学試験を受けた。
 そしてその最初の日に、もう少しで身体検査ではねられるところだった。去年はよく見えた検査の符号のようなものが
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