父が日清戦争で出征するとすぐ、竹町とは反対の方の片田町の隣りの、西ヶ輪[#底本では「西ケ輪」]という町に引越した。斎藤という洋服屋の裏の小さな家だった。そして父がまだ宇品で御用船の出帆を待っている間に、母に男の子が生れた。父から「イサムトナヲツケヨ」と電報が来た。三の丸では次弟が生れた。片田町では三番目の妹が生れた。そして、これで僕は三人の妹と二人の弟との五人の兄きとなった。母はこの六人の子と一人の女中と都合八人で、二階一間下三間の、庭も何にもない小さな家にひっこんだのだ。片田町の家は七間か八間あった。そしてできるだけの倹約をして貯金を始めた。
母は仮名のほかは書けないので、手紙の上封はみな僕が書かされた。中味も、父と山田の伯母へやるののほかは、大がい僕が書かされた。母が口で言うのを候文になおして書くんだが、まだ学校で教わらないような用事ばかりなので閉口した。母はずいぶんもどかしがりながらも、そのできあがるのを喜んで、自慢で人に見せていた。しかし僕は、それよりも、よそから来る手紙を母に読んで聞かせる方が、よほど得意だった。
ある日僕は学校から帰って来た。そしていつもの通り「ただ今」と言って家にはいった。が、それと同時に僕はすぐハッと思った。母と馬丁のおかみさんと女中と、それにもう一人誰だったか男と、長い手紙を前にひろげて、みんなでおろおろ泣いていた。僕はきっと父に何かの異状があったのだと思った。僕は泣きそうになって母の膝のところへ飛んで行った。
「今お父さんからお手紙が来たの。大変な激戦でね、お父さんのお馬が四つも大砲の弾丸に当って死んだんですって。」
母は僕をしっかりと抱きしめて、赤く脹れあがった大きな目からぽろぽろ涙を流して、その手紙の内容をざっと話してくれた。
場所は威海衛だ。父の大隊は海上に二艘日本の軍艦が浮かんでいるので、安心して海岸の方へ廻って行った。するとその軍艦が急に日章旗をおろして砲撃を始めた。それが鎮遠、定遠だとかいうことだった。父の大隊は驚いて逃げだした。するとこんどはその逃げ出すさきの丘の方から、味方の軍隊が盛んに鉄砲を打ち出した。たぶん、日本の軍艦から砲撃されるんだから敵の軍隊だろうと思ったんだろう、ということだった。父の大隊は敵と味方とに挾みうちされて進退きわまった。
大隊の副官であった父は、すぐに大隊長と相談して、そ
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