やはりトルストイの言うように、原始宗教すなわち本当の宗教は貧富の懸隔から来る社会的不安から脱け出ようとする一統の共産主義運動だと思っていた。
 しかるに、戦争に対する宗教家の態度、ことに僕が信じていた海老名弾正の態度は、ことごとく僕のこの信仰を裏切った。海老名弾正の国家主義的、大和魂的キリスト教が、僕の目にはっきりと映って来た。戦勝祈祷会をやる。軍歌のような讃美歌を歌わせる[#底本では「歌わせる」が「歌われる」]。忠君愛国のお説教をする。「我れは平和をもたらさんがために来たれるに非ず」というようなキリストの言葉を飛んでもないところへ引合いに出す。
 僕はあきれ返ってしまった。そうして海老名弾正だの、当時よくトルストイものを翻訳していた加藤直士だのと数回議論をしたあとで、すっかり教会を見限ってしまった。そして同時にまたうっかりはいりかけた「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という宗教の本質の無抵抗主義にも疑いを持って、階級闘争の純然たる社会主義にはいることができた。

 戦争が始まるとすぐ、父は後備混成第何旅団の大隊長となって、旅順へ行った。
 僕は父の軍隊を上野停車場で迎えた。そして一晩駅前の父の宿に泊った。
 僕は父が馬上でその一軍を指揮する、こんなに壮烈な姿は初めて見た。ちょっと[#「ちょっと」は底本では「ちょうど」と誤記]涙ぐましいような気持にもなった。しかし何だか僕には、父のその姿が馬鹿らしくもあった。「何のために、戦争に勇んで行くのか」と思うと、父のために悲しむというよりもむしろ馬鹿馬鹿しかったのだ。
 宿にはいってからも、父やその部下の老将校等はみな会う人ごとに「これが最後のお勤めだ」と言って、ただもう喜び勇んでいた。僕はまたそれがますます馬鹿馬鹿しかった。
 父は僕にただ「勉強しろ」と言っただけで、別に話ししたい様子もなく、ただそばに置いて顔を見ていればいいというような風だった。
[#改頁]


お化を見た話
   自叙伝の一節

   一

 僕が九つか十の時、ある日猫を殺して、夜中にふいと起ちあがって、ニャアと猫の泣くような声を出して母を驚かしたことは、前に話した。また、十一か十二の時、隣りの家に毎晩お化が出て、それが一と晩僕の家にも出たそうだということも、前に話した。
 が、こんどは僕自身が、しかも最近になって、お化を見た話だ。現にまだ生きてはいる
前へ 次へ
全117ページ中96ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング