組織や制度に対しては、そのほとんど万能ともいうべき大勢力を、慄然として怖れざるを得ない。その破壊を外にして個人の完成を称うるがごとき奴等は、夢の中に夢見る奴等である。
 なまけものに飛躍はない。なまけものは歴史を創らない。

 俺は再び俺のまわりを見た。
 ほとんどなまけものばかりだ。鎖を造ることと、それを自分のからだに巻きつけることだけには、すなわち他人の脳髄によって左右せられることだけには、せっせと働いているが、自分の脳髄によって自分を働かしているものは、ほとんど皆無である。こんな奴等をいくら大勢集めたって、何の飛躍ができよう、何の創造ができよう。
 俺はもう衆愚には絶望した。
 俺の希望は、ただ俺の上にかかった。自我の能力と権威とを自覚し、多少の自己革命を経、さらに自己拡大のために奮闘努力する、極小の少数者の上にのみかかった。
 俺達は、俺達の胃の腑の鍵を握っている奴に向って、そいつらの意のままにできあがったこの工場の組織や制度に向って、野獣のように打っつかって行かなければならぬ。
 俺達は、恐らくは最後まで、極小の少数者かも知れぬ。けれども俺達には発意がある、努力がある。そしてこの努力から生じた活動の経験がある。活動の経験から生じた理想がある。俺達はあくまでも戦闘する。
 戦闘は自我の能力の演習である。自我の権威の試金石である。俺達の圏内に、漸々になまけものを引寄せて、そいつらを戦士に化せしめる磁鉄である。
 そしてこの戦闘は俺達の間の生活の中に、新しき意義と新しき力とを生ぜしめて、俺達の建設しようとする新しい工場の芽を萌ましめるのである。
 ああ、俺はあんまり理窟を言いすぎた。理窟は鎖を解かない。理窟は胃の腑の鍵を奪い返さない。
 鎖はますますきつく俺達をしめて来た。胃の腑の鍵もますますかたくしまって来た。さすがのなまけものの衆愚も、そろそろ悶え出して来た。自覚せる戦闘的少数者の努力は今だ。俺は俺の手足に巻きついている鎖を棄てて立った。
 俺は目をさました。とうに夜も明けて、八月なかばの朝日が、俺のねぼけ面を照りつけている。



底本:「全集・現代文学の発見・第一巻 最初の衝撃」学芸書林
   1968(昭和43)年9月10日第1刷発行
入力:山根鋭二
校正:浜野 智
1998年8月20日公開
青空文庫作成ファイル:
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