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千葉から

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 堀保子宛・明治四十一年九月二十五日
 この監獄はさすが千葉町民の誇りとするだけあって、実に立派な建築だ。僕等のいる室はちょうど四畳半敷ぐらいの分房で、なかなか小ざっぱりしたものだ。巣鴨に較べて窓の大きくてそして下にあるのと、扉の鉄板でないのとがはなはだありがたい。七人のものはあるいは相隣りしあるいは相向いあっている。
 来てから三、四日して仕事をあてがわれた。何というものか知らんが、下駄の緒の芯にはいる麻縄をよるのだ。百足二銭四厘という大枚の工賃で、百日たつとその十分の二を貰えるのだそうだ。今のところ一日七、八十足しかできない。
 先日の面会の時、前へオイとか左向けオイとかいう大きな声の号令を聞きやしなかったか。あれがこの監獄の運動だ。僕等は七人だけ一緒になって毎日あれをやっている。堺がまさに半白ならんとするその大頭をふり立てて、先頭になって、一二、一二と歩調をとって行くさまは、それやずいぶん見ものだ。
 兄キに叱られたというが、何を言われたのか。浜の人には会ったか。谷君の方はまだ決まらぬか。話の都合によってはいずれにしても宜かろうが、茅ヶ崎に一人
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