ったら、無事に通過した。千葉の役人は英語も碌に読めないので、本の表題を和訳して差入れたが、同じ本を幾度も幾度も名を変えては差入れして、結局は大がい無事に通過した。※[#終わり二重括弧、1−2−55]ルッソオ著エミル(教育学、仏文)。Diversajoj(エス文集)。横田から大西、高山二博士の著書を、持っているだけ借りてくれ。横田の病気はどうか。よろしく。
 安成に『早稲田文学』の一月号にあったモダーニズム・エンド・ローマンス(近代文学)の原書を、もし借りることができたら借りて貰うように頼んでくれ。前の手紙に言った文芸百科全書もこの一月号の広告に出ていたのだ。近代文学研究は二月号の雑誌の中に予告があった。どちらも未だ出版にならぬのか。
『帝国文学』の最近号を二、三冊合本して送ってくれ。たぶん差支えなかろうと思う。
 数日前に書物の郵送を願ってある、その中の社会学教科書と人間進化論とは不許、『世界婦人』も勿論不許、石川によろしく礼を言ってくれ。『世界婦人』とも商売仇のような見っともないことはしないで、互いに広告の交換でもし合うがいい。かつて面会の時に頼んだ日本文学史は守田の本を指したのだが、外の本が来ているようだ。これは至急送るように。
 吉川夫人のことは都合よく行ってよかった。子供のあるのは少しうるさくもあろうが、またその世話をしたりするのも面白いものだ。お互いに助け合って仲よく暮して行くがいい。
 諸君によろしく。暑くなる、足下も体を大事に。さよなら。
   *
 堀保子宛・明治四十二年八月七日
 ことしは急に激しい暑さになったので、社会では病人死人はなはだ多いよし。ことに弱いからだの足下および病を抱く諸友人の身の上心痛に堪えない。
 まだ市ヶ谷にいた時、一日、堺と相語る機会を得て、数人の友人の名を挙げて、再び相見る時のなからんことを恐れた。はたして坂口は死んだ。そして今また、横田※[#始め二重括弧、1−2−54]兵馬、当時第一高等学校在学中※[#終わり二重括弧、1−2−55]が死になんなんとしている。ただ意外なのは汪の死だ。あの肥え太った丈夫そうな男がね。横田には折々見舞いの手紙をやってくれ。彼は僕のもっとも懐しい友人の一人だ。否、唯一のなつかしい友人だ。
 八月と言えば例の月だ。足下と僕とが初めて霊肉の交りを遂げた思い出多い月だ。足下のいわゆる「冷静なる」僕といえどもまた感慨深からざるを得ない。数うれば早や三年、しかもその最初の夏は巣鴨、二度目の夏は市ヶ谷、そして三度目の夏はここ千葉というように、いつも離れ離れになっていて、まだ一度もこの月のその日を相抱いて祝ったことがない。胸にあふれる感慨を語り合ったことすらない。
 そしてこの悲惨な生活は、ただちに足下の容貌に現れて、年のほかに色あせ顔しわみ行くのを見る。しかし、これがはたして僕等にとってなげくべき不幸事であろうか、僕に愛誦の詩がある。ポーランドの詩人クラシンスキイの作、題して「婦人に寄す」と言う。

[#ここから2字下げ]
水晶の眼もて人の心を誘い、
徒らの情《つれ》なさによりて人の心を悩ます。
君はまだ生の理想に遠い、
君はまだ婦人美を具えない。

紅の唇、無知のつつしみ
今やその価いと低い。
君よ、処女たるを求めず、
ただこの処女より生い立て。

世のあらゆる悲哀を甞めて、
息の喘ぎ、病苦、あふるる涙、
その聖なる神性によりて後光を放ち、
蒼白のおもて永遠に輝く。

かくして君が大理石の額《ひたい》の上に、
悲哀の生涯の、
力の冠が織り出された時、
その時! ああ君は美だ、理想だ!
[#ここで字下げ終わり]

 雑誌の禁止は困ったことになったものだね。しかしこれもお上の御方針とあれば致し方がない。かくして生活の方法を奪われたことであれば、まず何よりも生活をできるだけ縮めることが必要だろう。家もたたんでしまうがいい。そして室借生活をやるがいい。何か新しい計画もあるようだが、これはよく守田や兄などにも相談して見るがいい。社会の事情の少しも分らん僕には、なんともお指図はできないが、要するに仕事の品のよしあしさえ選ばなければ、何かすることはあろうと思う。日に十一、二時間ずつ額にあぶらして下駄の鼻緒の芯を造って、そして月に七、八銭ずつの賞与金というのを貰っている人間の女房だ。何をしたって分不相応ということがあるものか。
 せっかく持って来たバイブルをあまりにすげなく突返してはなはだ済まなかった。実はイタリア語ので二度も読んであきあきしたのだ。もっとも、もし旧約の方があるのなら喜んで見る。しかし、これもあの文法を読んでしまってからのことだから急ぐには及ばぬ。それと同時に自然、辞書の必要も生ずるのだが、露和の小さなのがあると思う。お困りの際だろうが、何とかして買ってくれ。『帝国
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