父の生きている間は父に相応の収入もあり、またその他のすべての点においても、僕が居なくとも事がすむと思ったからだ。用のない家庭の累からまったく僕の身を解放して、そして他に大いに有用な義務を尽そうと思ったからだ。されば家を出てからは、ほとんどまったく弟妹をも顧みず、また父にも僕の廃嫡を願って置いた。僕はこれに対して父や弟妹等がどんなに悲しく情けなく思っていたか、それはよく知っている。しかし時には自ら泣きながらもなおあえてこの行為を続けていた。
 しかし父が死んで見れば、僕はそうしてはいられない。僕の責任を尽さねばならぬ。今は僕がやらなければやる人がない。もとより僕の思想は棄てることはできぬ。僕は依然としてやはり社会主義者だ。むしろ獄中の生活は僕の思想をますます激しくする傾きがある。ただもとの僕はほとんど一人身のからだであったが、今からの僕は大勢の兄弟を後ろに控えたからだだ。したがってその間に僕の行動に多少の差がなければならぬ。僕は勿論この覚悟をしている。この点はよく察して貰いたい。
 僕はまだ母とは親子として対面したことがない。また手紙での交通もしたことがない。そしてお互いの間にはいろいろ誤解がわだかまっているようだ。しかし僕は、母は母として尊敬する。ことに父の死後はなおさらに謹みを深くする。君もこんどは保子が中にはいることでもあり、十分お互いの融和を謀るがいい。
 それから、君が今勉めなければならぬ最大の責務は、幼弟幼妹等に対して十分の慰めと励みとを与えることだ。父は死ぬ。頼みとする僕は牢屋にいる。みんなはほとんど絶望の淵にいるに違いない。君以下の弟妹等の今後の方針については保子に詳しく書き送ってある。なお、君の希望も十分保子に話してくれ。
 この手紙は伯父が三保にいるなら見せてくれ。また、母にも、もし君に差支えがないなら、見せてくれ。
   *
 堀保子宛・明治四十二年十一月二十四日
 一昨々日大体の話はしたが、時間の都合やまた口の不自由なところから、十分の話もできず、言い落したこともありまた言い切れないこともあった。この手紙で再び詳しき僕の意見を言おう。
 まず第一の問題は母だ。弟は出すと言っている。また弟の言によれば母自身も出る意があるとのことだ。母から足下に送った手紙には、あくまで止って家のために尽すとあるそうだ。僕の思うには、出すというのは勿論酷だ。しかし、
前へ 次へ
全59ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング