かねる。せっかく都合よく行っているように見える今の家を解散するのも惜しいことだが、もしそうなるなら谷等にこれまでの厚意をよろしく謝してくれ。雑誌を出すか、小田原へ行くか、これは幸徳、安田、および兄などと相談していいように決めるがいい。
 静岡からその後何とも言って来ないか。こちらからは、もう一度手紙を出して見たいと思う。前に言った三分の二でも二分の一でもいい、くれとは言わぬ貸して[#「貸して」は底本では「借して」]くれ、と言ってやって見ないか。もっとも、とても駄目だと思うなら、またいやなら止してもいい。少し金がないと本を買うに不便で困る。この困っている実情を述べて、「本当に子と思うなら」と、もう一度泣きついて見てくれ。
 金と言えば足下の経済事情はどうなっているのか。いつもいつも自分の勝手ばかり言ってはなはだ済まない。諸君によろしく。さよなら。
 トルストイ、イブセン、および『太平記』、今日着いた。
   *
 堀保子宛・明治四十二年四月二十六日
 いい陽気になった。運動に出て二、三十分間ポカポカと照る春の日に全身を浴せていると、やがて身も魂もトロトロに蕩けてしまいそうな気持になる。
 一、二週間前のことだった。この運動を終えて室に帰って見ると、どこからとも知れず吹く風にさそわれて桜の花瓣がただ一片舞いこんで来ている。赤煉瓦の高い塀を越えて遙か向うにわずかに霞の中にその梢を見せている松の一とむらと、空飛ぶ鳥のほかに、何等生の面影を見ない囚われ人にとっては、それが何だか慰めのようなまたからかいのような一種妙な混り気の感じとなった。「ああ窓外は春なり」のあの絵、あれを見て僕等のこの頃の生活を察してくれ。
 しかし暖かくなって肉体の上の苦しみのなくなったのは何よりだ。そのせいか、体重も大ぶ増えた。一月から見るとちょうど四百目ほど増して十三貫八十目になった。十五日から着物も昼の仕事着だけ袷になった。
 三月の手紙に『婦人文芸』として雑誌を出すとあったから、これはよほど編集を骨折らないとむずかしいわいとひそかに心配していたが、やはり前の通りの題で出たのでまず安心した。僕は前に僕が話したようにするか、あるいは旧のままかと二様の考えを持っていたのだ。雑誌は不許になったので見ることはできぬが、編集は守田のお骨折のことなれば、不味かろう筈はあるまい。少なくとも以前に僕が、いやいやなが
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