一つ一つ厳重に処罰することになったから、もう二度とこんないい儲けはあるまい。
 それで二十七の年の暮、ちょうど幸徳等の逆徒どもが死刑になる一カ月ばかり前にしばらく目でまた日の目を見て、それ以来今日までまる七年の間ずっと謹慎している。
 だから、僕の獄中生活というのは、二十二の春から二十七の暮までの、ちょいちょい間を置いた六年間のことだ。そして僕が分別盛りの三十四の今日まだ、危険人物なぞという物騒な名を歌われているのは、二十二の春から二十四の夏までの、血気に逸った若気のあやまちからのことだ。
 とんだ木賃宿[#「とんだ木賃宿」はゴシック体]
 もっとも、その後一度ふとしたことからちょっと東京監獄へ行ったことがある。しかしそれは決して血気の逸りでもまた若気のあやまちでもない。現に御役人ですら「どうも相済みません」と言って謝まって帰してくれたほどだ。それは本年のことで、事情はざっとこうだ。
 三月一日の晩、上野のある仲間の家で同志の小集りがあった。その帰りに、もう遅くなってとても亀戸までの電車はなし、和田の古巣の涙橋の木賃宿にでも泊って見ようかということになって、僕の家に同居していた和田、久
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