主義だな。」
初めから僕に脹れっ面をしていた巡査は、いきなり僕に食ってかかった。
「そうだ、それがどうしたんだ。」
僕も巡査に食ってかかった。
「社会主義か、よし、それじゃ拘引する。一緒に来い。」
「それや面白い。どこへでも行こう。」
僕は巡査の手をふり払って、その先きに立ってすぐ眼の前の日本堤署へ飛びこんだ。当直の警部補はいきなり巡査に命じて、僕等のあとを追って来た他の二人まで一緒に留置場へ押しこんでしまった。
これが当時の新聞に「大杉栄等検挙さる」とかいう事々しい見だしで、僕等が酔っぱらって吉原へ繰りこんで、巡査が酔いどれを拘引しようとする邪魔をしたとか、その酔いどれを小脇にかかえて逃げ出したとか、いい加減な嘘っぱちをならべ立てた事件の簡単な事実だ。
そして翌朝になって、警部が出て来てしきりにゆうべの粗忽を謝まって、「どうぞ黙って帰ってくれ」と朝飯まで御馳走して置きながら、いざ帰ろうとすると、こんどは署長が出て来て、どうしたことか再びまたもとの留置場へ戻されてしまった。
かくして僕等は、職務執行妨害という名の下に、警察に二晩、警視庁に一晩、東京監獄に五晩、とんだ木賃宿のお客となって、
「どうも相済みません。どうぞこれで御帰りを願います」というお挨拶で帰された。
元来僕は、ほとんど一滴も飲めない、女郎買いなぞは生れて一度もしたことのない、そして女房と腕押しをしてもいつも負けるくらいの実に品行方正な意気地なしなのだ。
奥さんも御一緒[#「奥さんも御一緒」はゴシック体]
それから、これは本年の夏、一週間ばかり大阪の米一揆を見物して帰って来ると、
「ちょっと警察まで。」
ということで、その足で板橋署へ連れて行かれて、十日ばかりの間「検束」という名義で警察に泊め置かれた。
しかしそれも、何も僕が大阪で悪いことをしたという訳でもなく、また東京へ帰って何かやるだろうという疑いからでもなく、ただ昔が昔だから暴徒と間違われて巡査や兵隊のサーベルにかかっちゃ可哀相だというお上の御深切からのことであったそうだ。立派な座敷に通されて、三度三度署長が食事の註文をききに来て、そして毎日遊びに来る女をつかまえて、
「どうです、奥さん。こんなところではなはだ恐縮ですが、決して御心配はいりませんから、あなたも御一緒にお泊りなすっちゃ。」
などと真顔に言っていたくらいだからたぶん僕もそうと信じ切っている。当時の新聞に、僕が大阪で路傍演説をしたとか拘束されたとか、ちょいちょい書いてあったそうだが、それはみんなまるで根も葉もない新聞屋さん達のいたずらだ。
その他、こういう種類のお上の御深切から出た「検束」ならちょっとは数え切れないほどあるが、それは何も僕の悪事でもなければ善事でもない。
とにかく、僕のことと言うとどこででも何事にでも誤解だらけで困るので、まずこれだけの弁解をうんとして置く。
初陣[#「初陣」はゴシック体]
「さあ、はいれ。」
ガチャガチャとすばらしい大きな音をさせて、錠をはずして戸を開けた看守の命令通りに、僕は今渡されて来た布団とお膳箱とをかかえて中へはいった。
「その箱は棚の上へあげろ。よし。それから布団は枕をこっちにして二枚折に畳むんだ。よし。あとはまたあした教えてやる。すぐ寝ろ。」
看守は簡単に言い終ると、ガタンガタンガチャガチャと、室じゅうというよりもむしろ家じゅう震え響くような恐ろしい音をさせて戸を閉めてしまった。
「これが当分僕のうちになるんだな。」
と思いながら僕は突っ立ったまままずあたりを見廻した。三畳敷ばかりの小綺麗な室だ。まだ新しい縁なしの畳が二枚敷かれて、入口と反対の側の窓下になるあと一枚分は板敷になっている。その右の方の半分のところには、隅っこに水道栓と鉄製の洗面台とがあって、その下に箒と塵取と雑巾とが掛かっていて、雑巾桶らしいものが置いてある。左の方の半分は板が二枚になっていて、その真ん中にちょうど指をさしこむくらいの穴がある。何だろうと思って、その板をあげて見ると、一尺ほど下に人造石が敷いてあって、その真ん中に小さなとり手のついた長さ一尺ほどの細長い木の蓋が置いてある。それを取りのけるとプウンとデシンらしい強い臭いがする。便所だ。さっそく中へはいって小便をした。下には空っぽの桶が置いてあるらしくジャジャと音がする。板をもと通りに直して水道栓をひねって手を洗う。窓は背伸びしてようやく目のところが届く高さに、幅三尺、高さ四尺くらいについている。ガラス越しに見たそとは星一つない真暗な夜だった。室の四方は二尺くらいずつの間を置いた三寸角の柱の間に厚板が打ちつけられている。そして高い天井の上からは五燭の電燈が室じゅうをあかあかと照らしていた。
「これは上等だ。コンフォルテブル・エンド・コンヴェ
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