も敷けようと思われる広い室だ。前後が例の牢屋風の格子になっていて、後の格子には大きな障子がはまっていて、その障子を開けるとそとにはすぐそばに大きな桐の木が枝を広げていた。前の格子は、三尺ばかりの土間を隔てて、やはり障子と相対していた。この障子の向うにもやはり桐の木が見えた。室の左右は板戸を隔てて他と同じような室と続いていた。土間には看守がぶらぶらしている。
「はあ、この格子だな、例のは。」
 と僕は、土間に近い一隅にうすべりを一枚敷いて、その格子の眼の前に坐った時、堺の話を思い出した。堺が前にはいった時にもやはりここに入れられたのだ。そして堺は教科書事件の先生や役人と一緒に同居した。小人で閑居していればそんな不善はしないのだろうが、大勢でいると飛んだ不善な考えを起すものと見える。みんなはこの格子を女郎屋の格子に見立て、また髯っ面の自分等を髯女郎《インテレクチュアル・プロスティテュト》の洒落でもあるまいが、とにかく女郎に見立て、そして怪しからんことには看守をひやかし客に見立てて「もしもし眼鏡の旦那、ちょいとお寄りなさいな」というような悪ふざけをして遊んだそうな。
 僕もこの髯女郎になってからはすっかり気が軽くなった。室は明るい。そとはかなり自由に眺められる。障子は妙にアト・ホオムな感じを抱かせる。すぐ隣りには仲間がいる。看守も相手が片輪者や老人のことだから特に仏様を選んであるらしい。
 旧友に会う[#「旧友に会う」はゴシック体]
 その室へ移されてから一時間ばかりしてからのことだ。ふと、僕の室の前に突っ立って、しきりと僕の顔を見つめている囚人がある。僕も見覚えのある顔だと思いながら、ちょっと思い出せずにその顔を見ていた。
「やあ!」
 とようやく僕は思い出して声をかけた。
「うん、やっぱり君か。さっきから幾度も幾度も通るたんびに、どうも似た顔だと思って声をかけようと思ったんだが、一体どうしてこんなところへ来たんだ。」
 その男は悲痛な顔をして不思議そうに尋ねた。しかし僕としては、僕自身がこんなところへ来るのは少しも不思議なことではなく、かえってこんなところでその男と会う方がよほど不思議であったのだ。
「僕のは新聞のことなんだが、君こそどうして来たんだ。」
「いや、実に面目次第もない。君はいよいよ本物になったのだろうけど。」
 その男は自分の罪名を聞かれると、急に真赤になって、こう言いながら、
「失敬、また会おう。」
 と逃げるようにして行ってしまった。
 彼と僕とはかつて同じような理由で陸軍の幼年学校を退学させられた仲間だった。彼は仙台の幼年校、僕は名古屋の幼年校ではあったが、もう半年ばかりで卒業という時になって、ほとんど同時に退校を命ぜられた。そして二人ともすぐ東京に出て来て偶然出遇った。彼にはなお一緒に仙台を逐い出された二人の仲間があった。その一人は小学校以来の僕の幼な友達だった。かくして四人の幼年校落武者が落ち合った。そしてそこへまた大阪や東京の落武者が寄り集まって、八、九人の仲間ができた。みんなは退校処分という恥辱を雪ぐために、互いに助け合ってうんと勉強する誓いを立てた。みんなはすぐにあちこちの中学校の五年へはいった。が、彼ともう一人の仲間とが中途で誓いを破って遊びを始めた。みんなは憤慨して数回忠告した。そしてついに絶交を宣告した。翌年他の仲間のみんなはそれぞれ専門学校の入学試験に通過した。しかしその二人だけはどこでどうしているのか分らなかった。みんなは絶交を悔いていた。
 ちょうどそれから四、五年目になるのだ。僕の入獄は彼から見れば「いよいよ本物になったのだ」ろうが、彼自身の入獄は当時の絶交と思い合して「実に面目次第も」なかったことに違いない。しかし僕としては、僕等が彼に申渡したその絶交が、今になってなおさらに悔いられるのであった。
 彼は早稲田辺で、ある不良少年団の団長みたようなことをしていたのだそうだ。そしてその団員の強盗というほどでもないほんの悪戯から、彼は強盗教唆という恐ろしい罪名が負わせられたのだそうだ。そしてかつて仙台陸軍地方幼年学校の一秀才であった彼は、今は巣鴨監獄で、他の囚人に食事を運んだり仕事の材料を運んだりする雑役を勤めているのであった。
 彼は僕が二度目に来て満期近くなるまで、この建物の中に雑役をしていた。どこでどうして手に入れて来るのか知らないが、ある時なぞは、ほとんど毎日のように氷砂糖の塊を持って来てくれた。そして毎月一度面会に来る女房をどこでどうして知っているのか、「君、奥さんが来てるよ、もうすぐ看守が呼びに来るだろうから用意して待っていたまえ」なぞと知らしてくれたりした。
 ある日急に彼の姿が見えなくなった、その日の夜ある看守の手を経て、「あす仮出獄で出る、君が出ればすぐ会いに行く」と言っ
前へ 次へ
全16ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング