つかって来たんですよ。みんなが、あなたの来るのを毎日待っていたんですって、そいで、今新入りがあったもんですから、きっとあなただろうというんで、ちょっと聞いてくれって頼まれたんですよ。」
「君のお隣りの人って誰?」
 僕は事のますます意外なのに驚いた。
「○○さんという焼打事件の人なんですがね。その人と山口さんが向い同士で、毎日お湯や運動で一緒になるもんですから、あなたのことを山口さんに頼まれていたんです。」
「その山口とはちょっと話ができないかね。」
「え、少し待って下さい。お隣りへ話して見ますから。今ちょうど看守が休憩で出て行ったところなんですから。」
 しばらくすると、食器口を開けて見ろと言うので、急いで開けて見ると、向う側のちょうど前から三つ目の食器口に眼鏡をかけた山口の顔が半分見える。
「やあ、来たな。堺さんはどうした? 無事か?」
「無事だ。きのうちょっと警視庁へ呼ばれたが、何でもなかったようだ。」
「それや、よかった。ほかには、君のほかに誰か来たか。」
「いや、僕だけだ。」
 と僕は答えて、ひょいと顔を引っこめた山口を「おい、おい」とまた呼び出した。
「ほかのものはみんなどこにいるんだ、西川(光二郎)は?」
「シッ、シッ。」
 山口はちょっと顔を出して、こう警戒しながら、また顔を引っこましてしまった。コトンコトンと遠くの方から靴音がした。僕は急いでまた寝床の中へもぐりこんだ。靴音はつい枕許まで近く聞えて来たが、まただんだん遠くのもと来た方へ消えて行った。
「コツコツ、コツコツ、コツコツ。」
 とまた隣りで壁を叩く音がした。そしてこの隣りの男を仲介にして、その隣りの○○という男と、しばらく話しした。西川は他の二、三のものと二階に、そしてここにも僕と同じ側にもう一人いることが分った。
 僕はもう面白くて堪らなかった。きのうの夕方拘引されてから、初めての入獄をただ好奇心一ぱいにこんどはどんなところでどんな目に遭うのだろうとそれを楽しみに、警察から警視庁、警視庁から検事局、検事局から監獄と、一歩一歩引かれるままに引かれて来たのだが、これで十分に満足させられて、落ちつく先のきまった安易さや、仲間のものとすぐ目と鼻の間に接近している心強さなどで、一枚の布団に柏餅になって寝る窮屈さや寒さも忘れて、一、二度寝返りをしたかと思ううちにすぐに眠ってしまった。
 野口男三郎君
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