カスの使い手のように両手を大きく翼形に開き、片膝《かたひざ》をつく姿勢で最敬礼を一度した。見たところ、大学の教授のような品威のある堂堂とした紳士である。梶も怪しみを感じなかったが、疲労の折のこととて半身を起すのも物うく、見ているままの容子《ようす》であった。
「旅のお疲《つかれ》のところを、お伺いいたします御無礼をお赦《ゆる》し下さい」
 と、この紳士は、少し飜訳《ほんやく》口調の嫌《きら》いあるとはいえ、先ずそんなに間違いのない日本語で梶に詫《わ》びてから、ヨハンというハンガリヤ名の名刺を出した。
「私はこのホテルのものではございません、日本語の勉強のため通訳といたしまして、あなたさま御滞在中の御便宜をお取りはからいいたす考えのものであります。何卒《なにとぞ》、御用お命じ下さいますなら、私ども幸いと存じるものでございます。当ホテルを本日訪問いたしますれば、あなたさまの御来訪を教えられましたにつきまして、出張いたしました。お宜《よろ》しければ、本日の午後五時半に再びここへまかり出ますから、それまで御用意下さいますなら、私の光栄でございます」
 紳士は手紙の文句を読むような調子ですらすら
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