りますが、むかしからドユナでもこの地が一番好かれますために、各民族から取り合いが激しかったところです。温泉もここだけで百二十もあります」
こう云ってからヨハンは、橋の袂《たもと》に蹲《うずくま》っている大きな獅子《しし》の彫刻を指差し、この口を開けた獅子に舌のないことを云ってから、橋の開通式に見物が押しかけたとき、
「みなのものはこの獅子には舌がないと云って、笑いました。そうしますと、その彫刻家は自殺しました」
と話した。ヨハンの口調は童話じみた明るい単純な響きをもっていたので、梶も思わず笑い出した。が、その明るさの下に抱いた底知れぬ話の淵《ふち》を覗《のぞ》くと、何かあるぞっとした恐怖を覚え、
「どうして自殺したのです」
と愚かな質問をしてしまった。
「どうしてでありましょうか」
とヨハンはでっぷりした腹部を揺《ゆす》りつつ、赧顔《あからがお》をなおからからと笑わせて一人先に橋を渡っていくのだった。
そのヨハンの謎《なぞ》めく豪快な笑い声と、舌を落した間のぬけた感じの獅子との対象が、何となく梶には痛快な人間|諷刺《ふうし》の絵を見ている思いで、幾度も振り向き獅子の傍から去り
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