、クラリネットに似たものだった。
そのタローガッタの音は、初めは荒野をさまよう生活の音のようだったが、それが漸次《ぜんじ》に地にひれ伏す呻《うめ》きのように陰に籠《こも》り、太い遠吠《とおぼ》えの底おもくうねる波となり、草叢《くさむら》を震わせる絶え絶えな哀音に変ったかと思うと、押し襲ってくる雲霞《うんか》の大群のふくれ雪崩《なだ》れるような壮大な音になった。そうして断《き》れることもなく続く間にも、波うつ地表の果てもない変化が彼の頭に泛《うか》んで来るのだった。
「それでは、明日の午後、二時にまた参ります」とヨハンは急に云って音楽の途中で帰っていった。
部屋で彼ひとりにこのダニューブの月出の情緒を味《あじわ》いさせたいヨハンの、心の籠った引き上げ方だった。ひとりになってからも梶は、広すぎる二人寝台の、それも二台も連ったその一つの片隅《かたすみ》にこっそりと寝た。そして、また窓の下の音楽を聴いていたが、タローガッタはなお熄《やす》む様子もなく河の上に射す月の光に応じた。それは千里に連る原野の秘めた歴史のようであった。高鳴りひびく音が旗を巻き、崩《くず》れ散り、怨《うら》みこもる低音
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