かりの美しさだった。
「なかなか面白い踊りですね」
と梶は見飽きずに云った。ヨハンもそう云われたことが嬉しいらしく、この踊りだけは観賞し直すという風に、
「日本の方が御覧になると、どの子が美しいと思われますか」
と梶に訊ねた。
「そうだなア」
すぐには批評しがたく笑いながら梶はまた眺めた。
「前列の右から三番目の子かな」
揃った肋骨の迅《はや》い動きの中から一人を選ぶのは、難《むずか》しかった。殊《こと》に日本人の観賞の眼も共に選ばれていることも、この博学なヨハンの太った笑いの底にひそんでいた。
ハンガリヤの踊りは溌剌《はつらつ》とした空色の屈曲の連続で終ると、また踊子らは、さっと未練げもなく馳《か》け足で退場した。そうして、一団が梶らの傍を擦り崩《くず》れて走り去ろうとしたとき、ヨハンは急に手を延ばし例の右から三番目の子を呼びとめて手招きした。しかし、何の答えもなくそのまま一団は去ってしまった。ホールは再び客たちの踊りで満たされた。
場中のどの席からも、市づきの踊子を呼ぶもののないときに、梶ひとりの席が呼びとめたその異例に、彼は顔の赧らむ思いもつよく不満だった。それも招きに応じて来たものならまだしも、振り向きもせぬ寂しさを味《あじわ》うのは、沁み入る異境の果ての心細さに変るのだった。梶は今日はたびたびの不覚だったと思い、ヨハンの立ち上るのを待ちかねながら、所在もなく、今度は眼の大きな踊子の後を追いつづける旅客たちの、乱れる様を眺めているばかりだった。
「さっきの子らは、客席へはどこへも来ないのですよ」
とヨハンは、梶のさみしむ心を嗅《か》いだと見え、暫くしてからそう彼に説明した。
「来ないのに呼んだのですか」と彼は笑って訊ねた。
「この席へなら来ます」
「しかし、呼んだのは僕らだけじゃありませんか」と彼は少し不服も出た。
「もう来ることでしょう」
と、ヨハンはそこが外人のこととて、日本語の遣《や》り取りの機微も分らぬらしく、至極のどかなものだった。梶には、このヨハンの大きな顔は舌のないハンガリヤの獅子に似て見えた。そしてこの席へなら踊子の来るという意味は、このホールに限り来るという意味か、それとも、日本人専門の客を扱うヨハンの席へは必ず来るという意味か、そこが梶には分らなかったが、自信をもってそう云う落ちつき払ったヨハンの態度には、明るさが増して
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