て千鶴子の前に置いた。それは通常の透明な淡水とどこも違わぬ水だったが、彼にはキリストの体を拭き浄めた水に見え、思わずどきりとして胸騒ぎが昂まった。横に顕れた千鶴子の膝頸のかすかに揺れるのを一寸見ると、一種無気味な感動の捨て場のない落ちつきなさで、「ふうむ。」と彼はひと言洩らしたままだった。方解石の稜面を横ぎる光線のように水は角壜の半ごろの部分で空隙を支え、薄日のもとに静まり返っていた。千鶴子は壜を手に取ろうともせず、襟を締め直した顔いろも幾らか蒼くなり、背を後ろに丸く縮める風にしてなお水を瞶めつづけた。東野は二人の間に対峙し合う秘かなものには気附かぬらしい無造作な様子で、すぐ次に奥から半折を持って出て来ると、またそれを拡げて二人に見せた。中に書かれた文字は五字でどこの国の字か矢代には分らなかったが、東野のその無造作な動きに、ようやく彼の塊ったままの気持ちもほッとした。
「これはイスラエル語で、インマヌエルと読むのだがね、意は、神なんじと伴にありというのだよ。聖書を訳した人がこの水で書いて僕にくれたんだ。ちょっと西蔵《チベット》の字に似ていて面白いね。落款の印はこれはヨルダン河の石をその
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