てくれ給え。」転調していく東野の冗談の中にも、彼の歴史の悲調な笑いが短く籠っていて矢代は面白く思った。
「でも、それじゃ奥さんにお気の毒だわ。」と千鶴子は一寸扁額を見上げて云った。
「ところが、家内はまた僕より墨の方が好きらしいのですね。相当に良墨を持っておるですよ。何んとかして盗んでやろうと隙を窺ってるんだが、こ奴だけはなかなか頑固に放さない。何しろ墨は硯と違って、触れると忽ちそれだけ減るでしょう。一度僕はこっそり家内秘蔵の明墨を、この眉子で擦ってみたが、いや、その手触りの良さといったら、ぴりぴりッと髄に電感が来たね。それで僕は下手な句を一句書いてみたが――」
「何んという句です。」と矢代は訊ねた。
「菜の花の茎めでたかれ実朝忌、というのだったかな。僕にしてはその句は、細みのよく出た句ですよ。俳句というのは、硯と墨とがぴたりと吸いつき合った触感の、あの柔い微妙な細みから、自然に滴り落ちた一滴の雫でなくては駄目なんだよ。ぽたりッという音がして、墨の匂いがぷんとしてね。」
東野はそう云ったかと思うと、急にそのとき表情が変り、どうしたことかまったく不意に、
「君たち結婚式はいつですか。」
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