でいたので、妹を一緒に京都へつれて行くこともひかえ、母の傍に残したくもあったのだが、この夜はそんなに旅さきまで策を用うるのが佗しく仰ぐ花明りも眩ゆかった。もう喜びが過ぎてしまった後のようにもの悲しさが脱けなかった。
 矢代が家に戻ったとき幸子は留守に来ていた書類を持って二階へ来た。
「はい。お手紙。」
 何かその妹の声に常の声よりわざとらしさが響いたので、矢代はすぐ千鶴子からのも中に混っているのを感じ、眼をその方へ向けなかった。
「お元気ないのね。叔父さん何んか仰言って。」幸子は下へ降りようとせず彼の傍へ坐り込んだまま顔を見ていた。
「どこの桜もよく咲いていたね。」と、彼はひと言いってからふと書類へ視線を落としたが、まだやはり手に取り上げようとしなかった。
「叔父さんはあたしも京都へ行くように仰言ったでしょう。」
「いや、そんな話はないよ。」
「嘘だわ。あたし電話で忍さんに、そうお願いしといたんですもの。お話あったにちがいないわ。」
 忍との間で、その点にも少し矢代は触れたと思ったが、それを妹に答えるには、まだ見ない眼前の書類の内容の方が重すぎた。千鶴子の手紙の返事が、自分の京都行きと
前へ 次へ
全1170ページ中963ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング