物の検査が始った。
とにかく、これで先ず良かった、と矢代は思い、検査台で荷物を開けている千鶴子の後姿を見ながらほッと安堵の胸を撫でおろした。マルセーユへ著いたときには、あれほど儚なく色褪せて見えた千鶴子であったのに今はこんなに美しく見えるとは、こちらもこれで、日日夜夜異国の婦人を見馴れたからであるからか。粗い肌の造りの大きいヨーロッパの婦人に比べて、千鶴子は一見底深い光沢を湛えた瑪瑙のようにきりりと緊って見えるのであった。
しかし、それにしても何んという奇妙なことだろう。マルセーユであんなに憐れに物悲しく千鶴子の見えた最中に、今にも千鶴子と結婚しようと覚悟を決めたこともあったのに、それが一度び水を換えられた魚のように美しさを取り戻した千鶴子に接すると、も早やマルセーユの切ない心は矢代から消えて来るのだった。
これで良い。これで千鶴子を一人ヨーロッパへ抛り放しても、もう自分の心配はなくなったとそんなことまで矢代は思った。千鶴子と久慈と矢代は、飛行館のバスには乗らず別にタクシを呼んでパリまで走らせた。
「ホテルは取ってありますよ。あまり僕らと離れたところは不便かと思って、近くにしまし
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