安土桃山の時代に波うち上げて来たカソリックの激しさである。この精神の波は、僅か十数年の間に、日本の知識階級ほとんど全部の頭に浸入した。千五百八十二年、信長が殺された天正十年の正月に、九州のキリシタン大名の使節がローマに初めて出発して、八年後に持って帰った印刷機から吐き出された信心録のその拡がりの早さ、――それからまた、四十年後の寛永九年、全国に襲ったキリシタン迫害の暴風と、それに抵抗した大殉教の壮烈さ、――
 矢代はローマ帝国がキリスト教に示した大迫害と匹敵する、当時の日本の大弾圧の様を考え、そのとき殺されていった無数のそれらの生命力の行方を想い泛べるに随い、下ってそれから三百年後の今の世に栄えている、カソリックの姿もまた自然に頭に泛べざるを得なかった。それも、矢代の先祖の城の滅ぼされたのが、カソリックの大友宗麟のためであり、その子孫の矢代がヨーロッパで知り合って、現に彼を悩まし、ともすると一切の判断を失わしめる婦人が、同様にカソリックの千鶴子だった。
「栄えるためには、人は何ものかに殺されねばならぬのかもしれない。君のように。」
 と、矢代は久慈への手紙の中にそう書きながらも、このカ
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