に絶望を与えた神戸に、何がいったいあったのだろうと、矢代はそのとき考えた。ヨーロッパから帰って来た青年の多くの者が、船中から神戸を見て、その貧しさに悲しさがこみ上げ、思わず泣き出すというその港、そして、そこからいま帰って来てひそかに洩らし悲しんだ妓生のこの歎きであった。
「つまり、それぞれみんな自分の故郷の美しさを忘れたのさ。心ないことだよ。」
 皆話し終えてから、矢代は幸子を戒めるつもりで言葉も、さして苦しまず自然に出て来たのを一層好都合に感じて云った。
「君も身体が善くなったら、こんな所であぷあぷしてずに一度奈良や京都でも廻って来るんだね。僕もそのうち行くつもりだ。まだ僕の旅行はいよいよこれからが、始まりというところさ。」
 さして馬鹿とも思えない幸子には、今の場合の兄の気遣いなど、およそこれほどのところで察しもつくだろうと矢代は思った。それまで海の上を黙って見ていた幸子は、急に立ち上ると彼に背を見せながら、ベニスのショールをかけてみた肩を鏡に映して眺め入った。
「いいわね。これ。早くよくなって、あたしもさっさとどっかへ行ってみたいわ。」
 白くギリシア模様を浮き出したショールの向
前へ 次へ
全1170ページ中624ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング