神の立像は、対岸の緑色濃やかなサンゼリゼの森の上に浮き上り、樹間を流れる自動車も橋の女神の使者かと見えるほど、この橋は壮麗を極めていた。
矢代は間もなく見る千鶴子の様子を考えてみた。彼の頭に浮んだものは、日本から来るまでの船中の千鶴子の姿であったが、定めし彼女も別れてからはさまざまな苦労を自分同様に続けたことであろうと思われた。
「千鶴子さん、長くパリにいるのかね。」
と矢代は久慈に訊ねてみた。
「長くはいないだろう。フロウレンスへ行きたいんだそうだが、君に宜敷《よろし》くって終りに書いてあったよ。」
「終りにか。」
と矢代は云って笑った。矢代は久慈とも同船で来たのであった。久慈は社会学の勉強という名目のかたわら美術の研究が主であり、矢代は歴史の実習かたがた近代文化の様相の視察に来たのだが、船の中では久慈だけ千鶴子と親しくなった。矢代は今も彼らとともにマルセーユまで来た日の港港の風景を思い浮べた。
「もう一度僕はピナンへ行きたいね。あそこは幻灯を見てるような気がするが、君はあのあたりから千鶴子さんの後ばかり追っかけ廻していたじゃないか。あれも幻灯だったのかい?」
と矢代は云って
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