落ちそうな裸女の美しい腰の下を流れて行く。
「明日千鶴子さんがロンドンから来るんだよ。君、知ってるのか。」
 矢代は久慈にそのように云われると瞬間心に灯の点くのを感じた。
「ふむ、それは知らなかったな。何んで来るんだろ。」
「飛行機だ。来たら宿をどこにしたもんだろう。君に良い考えはないかね。」
「さア。」
 こう矢代は云ったものの、しかし、千鶴子がどうして久慈にばかり手紙を寄こしたものか怪しめば怪しまれた。
 エッフェル塔が次第に後になって行くに随って河岸に連るマロニエの幹も太さを増した。およそ二抱えもあろうか。磨かぬ石炭のように黒黒と堅そうな幹は盛り繁った若葉を垂れ、その葉叢の一群ごとに、やがて花になろうとする穂のうす白い蕾も頭を擡げようとしていた。
 晩餐にはまだ間があった。矢代と久慈はセーヌ河に添ってナポレオンの墓場のあるアンバリイドの傍まで来た。燻んだ黒い建物や彫像の襞の雨と風に打たれる凸線の部分は、雪を冠ったように白く浮き上って見えている。
 その前にかかった橋は世界第一と称せられるものであるが、見たところ白い象牙の宝冠のようである。欄柱に群り立った鈴のような白球灯と豊麗な女
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