「さア、どういうものか今度よく訊きましょう。」
矢代は東野の後姿を眺めて云った。後ろでは二人の論争はまだ激しくつづいていた。
グランド・オペラは二十一時に始まる。千鶴子は真紀子に電話をかけ、無骨な矢代のことだからまごまごすると困るというので、自分に代ってオペラの案内を頼むと申し込んだ。ヴェルディの椿姫のこととて真紀子も喜んで千鶴子の頼みを承諾した。千鶴子の方へは勿論ピエールが迎いに来るから矢代たちと一緒に行くわけにもいかず、二人はそのまま別れて矢代だけ切符を買いにひとり出かけた。
本屋で買って来た椿姫を拾い読みしてから、夕食後矢代は初めてタキシイドを着てみた。白い手袋、エナメルの靴と身を替えて鏡の前に立って見ると、少し照れ気味な映画のギャルソンのような自分の恰好に苦笑が泛んで来るのだった。今夜だけは本物のピエールというアルマンと競争しなければならぬだけに、気骨の折れること一通りではないと思い、少し歩くと一度も練習したことのない舞台を踏むような気重さである。そこへ真紀子が階上から降りて来た。白地の縮緬のところどころに葉を割った紫陽花の模様のソアレを着た真紀子は、見違えるほどの
前へ
次へ
全1170ページ中277ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング