た。物憂くなるほどの明るい光線を浴びて、人人はただ船足の停るのを今か今かと見守っているばかりである。
 矢代は、いつの間にやらゴールへ来てしまった自分を感じた。船はマルセーユの埠頭へ胴を横たえようとしている。静かな静かなそのひと時だった。――
 矢代は、今まで自分を動かして来た総ての力もここでぷつりと断ち切れ、全く新しい、まだ知らぬ力がこれから先の自分を動かして行くのだと思った。やがて、船から梯子が埠頭へ降ろされた。どやどやと梯子を登って来るヨーロッパの人間の声が聞える。
「では、皆さんどうも、長長お世話になりました。」
 一人の船客が別れの挨拶をした。
「ではお身体お大切に。」
「さようなら。」
 こういう会話の後で、急に、
「ああ、香取丸が出て行くよ。」
 というものがあった。矢代は見ると、小さな香取が船尾を動かし、静かに体を曲げ、何の未練気もなくさっぱりとした態度でさっさとマルセーユの陸から離れていった。
「僕も帰りたいなア。」
 と船客の一人が溜息をついた。矢代も甲板に立って香取の姿が煙を流し見るまに港の外へ消えて行くのを眺めていたが、間もなく始まる上陸である。これから上陸許可
前へ 次へ
全1170ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング