何んかで読んだ覚えがあるんだけれど、この氷河の断層へ新婚のお婿さんが落ち込んだんだそうですのよ。そうしたところが、死体がいつまでたっても分らないから、花嫁さんは山の麓へ降りていって、氷河の溶けるまで永久に待っていて死んじまったって、あのお話御存知でしよう。」
「そう云えば思い出しましたね。多分その話はここのことかもしれないな。」
「あたしここだと思うの。ここはそういう人の来るところですものね。」
千鶴子はそう云いながら、ピッケルで欠いた氷の破片を、断層の底へ投げ込んで覗いてみた。破片はすぐ見えなくなったが、屈曲する断面にあたる氷の音が、「ころん、ころん、」と軽やかなわびしい音をたてつづけ、だんだん小さくなりつつ消えていった。
「まアいい音だわ。一寸お聞きになって御覧なさいよ。」
と千鶴子は矢代を呼んだ。二人は擦りよるように身を蹲め、破片を投げ込んでは断層に耳を近づけた。まったくそれは果てしれぬ氷河の底へ落ち込む虚無の音であった。音が消えてもまだ鳴りつづける幻聴となって、半音を響かせる絃の音に似ていた。矢代は空を仰いだ。日が照り輝いているのに、松柏を渡る風のような虚しさがじっと浮雲を
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