た黒い服色は、光を吸いこみ、ネットの紅の一点がなまめかしい匂いを放つようだった。
「お父さん、あそこへお入りになるのね。」
 千鶴子は霊屋の方に向いたまま、うらうらとした光に眼を細めて云った。「お父さん」と何げなく云った千鶴子のその呼び方に、矢代は一瞬、ま近に迫って囁くような新しい呼吸の温もりを感じた。それは何んとなく、運命というものの顔を不意に見たようで、もう一度見たいと希っても、再びは見られぬ初初しい温もりに似たものだった。
「あそこは霊屋だから、先ずあそこだろうが、地下室が素晴しく広いらしいんですよ。」
「でも、ここなら京都へ来るたびに、お詣り出来ていいわ。来ましようよね、ときどき。」
 本堂の方から誦経の声が聞えて来た。多分父の骨に上げていてくれる経にちがいなかった。二人は本堂へ引き返してみると、如来の立像図の周囲に烈しく後光の射した掛軸が垂れていて、その前の三宝の上に父の骨箱の白布が小さく見えた。矢代たちは僧侶の後に坐って誦経のすむのを待つのだったが、待つ間彼は掛軸を見ていると、金色の後光の放射がつよい線で出来ていて、軸からはみ出しあたりを突き射すような勢いこもった漲りを感じ
前へ 次へ
全1170ページ中1062ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング