爵はまた興味ありげな表情で、矢代に訊ねた。
「あなたがたの年齢の人の中心問題は、今はどういうことにあるんですかね。わたしは注意してみてるんだが、まだ何んとなく要領を得ないのですよ。」
「それはいろいろややこしいことが、こんがらかっているので一口には云えないのですが、やはり、東洋の道徳と西洋の科学やキリスト教などとの、踏み込み合ってる足の問題が、中心のように思えますね。西洋が二十世紀だからといって、東洋もそうだとは限らないですから、そこを何んだって、西洋の論理で東洋が片づけられちゃ、僕等の国の美点は台無しですから、果してそんなに周章てて美点を台無しにすべきかどうかという、そこの疑問から今のすべての論争が発展したり、押し籠められたり、引き延ばされたりしている始末なんだろうと、僕は思うんです。さっきお隣りの部屋で皆さんの仰言っていられた、あんな問題も、やっぱりそれと同じことじゃないかと、僕は面白くお聞きしていましたのですが。」
矢代は老人にもこのような問題には心を向けて貰いたく思い、少し出すぎた調子も和らげず強める風に云ってみた。
「つまり、じゃ、二十世紀の道徳と科学の問題というわけですね。」
久木男爵は眼鏡を一寸取り脱し、一種異様に鋭く光る目の色で矢代の方へ体を傾けた。
「まあ、そうです。それが東洋人の僕らから見ると、十四五世紀の問題として映っているのかもしれないですから。そこが難しくて。」
と矢代は答えた。
「じゃ、あなたがたは、科学と道徳とどちらが良いと思われるのですか。」
「そこが、僕等の論争の中心なんですが、僕は道徳だと思うのです。」
「僕は科学だと思うな。」
と音楽家の遊部が横から云った。
「さあ、それはどうだか、――いや、それは難しくなって来ましたね。」
と久木男爵は云い直してまた眼鏡を懸け首をかしげた。
「でも、それは道徳よ。」
と突然藤尾みち子は別れた前の夫の遊部を見て云った。何かその声の中には遊部の無礼を憤る短く張った声が籠っていた。
遊部夫妻の過去のいきさつを知っているものらは一瞬どっと笑い出した。矢代はこの一家庭もルネッサンスの中核体に触れ飛び散ったひと群だったのかと、初めて知って二人を顧みた。
白い卓布の上に並んだ客たちの表情は、遊部とみち子のもつれかかった気持ちを享けて、暫くは両方に別れたままだった。そこへ女中が薄切りのスモーキングの鮭を持って顕れ、空いた皿と取り替えた。光沢のある越州の壺に似合った冬薔薇の華やいだ向うで由吉は無造作に鮭を食べたその途端、「あッ、これは見事だ。」と云って感嘆した。一同危く道徳派と科学派とに入り乱れて混乱に陥ち入りそうなところだったので、こういう由吉の嘆声は、思いがけない逆転を起して客たちの視線を皿の鮭の上によせ集めた。
「侯爵、今夜のコックはただ者じゃないですな。」
由吉に云われて田辺侯爵はかすかに笑っただけだった。二人を見ていた矢代は、どことなく微妙な音を発した美しさを感じ気持良かった。由吉は鮭を食べ終ると手帳の紙片をひき裂き、コックに手渡す今夜の礼を書きかけたが、侯爵の方へ一寸延びて、「日本人?」と訊ねた。
「フランス人だ。郵船にいたんだがね。」
「そうだろうな。」
由吉は日本語の礼を消してまたフランス語に書き変えるとその紙片をコックに渡して貰いたいと女中に頼んだ。一同だれも由吉に少し敗けた形で暫く黙った。しかし、臆面もなく客たちの前で、そんなことを敢てした由吉は少し照れたのであろう。
「どうもこんなことは面倒くさいが、して置くことはして置く方が良いからな。」ひとり弁解めいた笑顔になり「やはり僕も道徳派かな。」と呟いた。そこでまた一同の客は笑い出した。
「いやそれが科学派さ。」
遊部が突然の笑いをふき消すように卓の上から由吉の方へ身を捻じ向けて云った。「美味いものを見つけて美味いと云うんだからね。そういう実験の徳というのは科学性だよ。そこを忘れて道徳も研究も、価値があるわけのものじゃないさ。」
「じゃ、君の夫婦別れの原因も、つまり科学性の徳といったわけだな。」と由吉は云って笑った。
この巧妙な由吉の冗談は暫くまた笑いの波を食堂に響かせていたが、遊部に逃げられたみち子の表情だけ一隅で鋭く吹き尖って来るにつれ、一座はようやく事の重大さを感じて白み始めた。しかし、二人の過去のいきさつなど知らぬ老人の久木男爵だけは、底流している一座の苦さにはまだ気附かぬ様子で、却って、真面目な議論の対象をいつも揉み潰す由吉に多少反感を覚えたらしく、矢代の方を向き直った。
「あなたのさっき仰言ったそこのところ、何んでしたっけ――そら、西洋が二十世紀だからといって、東洋も二十世紀だとは限らないというのね。それは面白い御観察だと思ったのですが、そうすると、われわれの考えている
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