一堂の中を見廻していると人に愛せられる塩野の性質の自然に醸し出すなごやかさが溢れていた。
「このかた、パリでピアノをやってらした、藤尾みち子さんです。」
 と塩野はまた一人の婦人を矢代の傍へ来て紹介した。藤尾という婦人の服装は、これまたどういうものか、侯爵夫人と殆ど同一の服装だった。長靴の切れ目にぴんと生えた摘まみの羽根が、一人のときは面白い風情があったのに、二人並ぶと少し鬚のように目立ったおかしさに変って来たが、それでも他の集りとは一種違った偉観となって、場中に特殊な空気を添えていた。
 藤尾は侯爵夫人と交遊も深そうに見え、いつも二人が並んで話すので、自然に千鶴子は割られた形となって再び矢代と話す機会が多くなった。
「あなた、今日はどうなさるの。あたしたち今日は侯爵に御招待されてるんですけど、あなたもいらっしゃいません。」
 千鶴子は人目を避ける風に棕櫚竹の葉蔭で声をひそめ矢代に訊ねた。
「しかし、それは――」
 まだ誰からの音沙汰もないときに矢代も勝手な返事も出来かねた。
「いいんですのよ。あなたさえおよろしければ。」
「そういうわけにもいかないでしょう。」
「でも、御存知なの。行きましょうよ。」
 何かもう侯爵と千鶴子との間に打ち合せもあるのかと一寸矢代は考えたが、しかし、今日だけはやはりまだ早すぎる懸念もあって、彼は返事を云い渋った。千鶴子は急に視線を変えて塩野を見詰めていてから、彼と知人たちの会話の途切れる隙を見て傍へよっていった。何か云われたらしく塩野はすぐ頭を掻き掻き矢代の方へ歩いて来た。
「今日は上っているのですっかり忘れていた。今日ね、これがすんでから、侯爵の別邸へ招待を受けてるんだが、君も一緒に来てもらいたいって、侯爵から頼まれていたんだよ。どうも忘れていて失礼。僕のお祝いだそうだから枉げて出てくれないかなア。」
 塩野の祝賀会だとあれば矢代もむげに断れなかった。
「じゃ失礼して出席させていただこうか。」と矢代は答えた。
 観覧人の出て行く後から後から、また新しく人人が這人って来た。塩野の知人たちも同様帰った後、つづいて別の知人たちが階段を昇って来たが、その中に一人塩野の叔父の友人で、日本で屈指の富豪といわれている久木男爵の姿が見えた。この男爵は支店を海外に沢山持っている関係上ながく外国で暮した人だった。背はどちらかといえば小さくまた痩せていた。薄鼠色の洋服に鼻眼鏡に似た眼鏡のせいもあって、年よりはるかに若く見え元気だった。この人は田辺侯爵とも知人らしく彼を見つけるとすぐ歩みをよせて来て、
「どうも懐しいですね今日は。」
 と壁面の写真を眺めながら挨拶した。小柄ながらも、いたって無頓着そうな、飄飄とした味いのある顔だったが、ときどき異様に鋭い閃きを見せる眼つきも伴い、人を見抜く才能の豊かさが頷けた。すると、丁度その後を追うように昇って来たこれも小柄な老人が、いきなり男爵の後から両肩をぐっと掴んだ。そして、子供が戯れるような恰好で、後の男を見ようとして振り返る男爵の眼を避けつつ、右に左に身を翻してふざけ始めた。観衆は何事かと二人の様子を眺めていたが、老人はそれらの視線には一向頓着なく、なお真顔で執拗くふざけつづけていた。
「誰かな、む? 高橋君か。どうも巧妙に逃げるところを見ると、――北浜君らしいぞ。」
 踉めきながらそういう男爵の背広が、だんだん後へ脱げそうになって来ても、老人はまだ赦そうとしなかった。
「やア、君か。」
 とうとう見つかって男爵に云われたとき、初めて立ち上った老人は、今度はにこりともせず、
「今日は苦労をさせられた。今日中に五十万円集めよという命令さ。それで実は追っかけて来たんだけれども――ああ、くたびれた。」
 と云って両腕を曲げ後に反った。この間老人は少しの表情もなく、他人の方を一度も見ようとしなかった。矢代が後で塩野に老人のことを訊ねると、それは有名な船会社の社長の木山だということだった。一介の貧書生から実業界の大物に登り上り、一時は成金の代表者のように云われたことのある、この木山の力量の冴え方については、前からたびたび矢代も聞いて知っていた。が、よく見ていると、誰からも一度は軽蔑を買いそうなその貧しげな姿ながらも、とりわけ、動きのない一重瞼の薄さに、鋭敏俊慧な直感力が潜んでいると矢代は思った。
 会場の空気に疲れ、矢代がお茶を飲みたくなったころ、塩野の叔父が黒の背広で会場へ顕れた。内閣を引いたばかりのこの人には、矢代は今初めて会うのだったが、写真ではいつも見ていてすぐ分った。
 老人たちは矢代には分らぬ他人の話を、暫くより合ってしているだけで、あまり写真の方には気をつけて見ようともしなかった。
 塩野の叔父は意志の強そうな、やや金窪眼の老人とはいえ、声には張りが籠ってきんきんとよく
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