枝枝が強い弾力を貯え得られたことは、それ以来引きつづいて逞しく育って来た今の姿を見ても分った。
街へ出るたびにこの欅の下へ自然に立たねばならなかった矢代は、こうしているまも、双方の意志までいつか通じるように思われ愉しみだった。また彼はこの樹を見上げたときが自ら正しい考えを得るように感じてからは、その日の吉凶なども判断したくなったりして、知らず識らずそれも習慣となると、いつの間にか千鶴子のことなど、自然とつい欅と相談するという風な癖にもなるのだった。
千鶴子が母から他の男と縁談を奨められている苦しさを洩して来た手紙を見て以来、特にこの相談めいたことの去来する親しさも増すようになった。
「ね、君、今日もまただが、千鶴子さんのことは、僕から何も特別に云わなくったって善いとも思うんだがね。抛ったらかしといたってさ。」
と彼は、こんな自問自答風な調子で訊ねる。
「しかしまア、気にはかけておらないといけないよ。」
と欅が答えるように思う。
「それもそうだが、千鶴子さんの母親が他の男に意志を向けているというなら、これは持久戦になりそうだよ。もっとも、僕の母親も千鶴子さんがカソリックだと知れば、僕の所へ来ることを喜ばないから、千鶴子さんにしても同様だと思うんだ。」
「しかし、君も一度夢の中で本当の結婚式を挙げてあるんだから、そう急いだもんでもないだろう。何しろ相手は現世のことなんだから、人間めいた臭いもするさ。まア宜しくやりなさい。君も夢を見たついでだ。」
と欅は笑う。矢代はこの欅とこんな問答を始めるときは、相手の端正な姿に心がのびやかになり、情熱のさめ冷えて来る危険も感じたが、こちらの頭を正すには何よりこの樹は役立った。しかし、「君も夢を見たついでだ。」とそう云い放つような欅の立姿には、矢代もふと心中つかえるものを感じて考えた。すべて夢というものは、現実よりも高雅な美しさに充ちていると思っていたときであるだけに。去年から道路を拡げ始めている工事が欅の下で着着と進んでいた。やがてここの停留所も除かれてしまい、そのときになれば、欅もともに截り斃されてしまうのは定っていた。彼はその後の明るく拡った空間を想像して、この欅と別れるのも間もないことだと思った。
「もう暫くすれば君ともお別れだね。」
「どうもそうらしい。毎日足もとを見ているがね。そこまで来とる。」
「寂しいか。」
「いや、へんなものだ。」
「誰が君を截りたおすのか、分ってるんだろうね君には。」
「うむ。毎日見てると、浅右衛門の手つきなかなか上手いよ。」
「云い残しておくことはないかね僕に。」
「ない。」と欅は一言いって暫く黙っていたようだったが、また空を見上げていてからぼそぼそと云った。
「じっとここにこうしていたようだが、これでも長い旅をして来たね。」
矢代は欅から眼を反らせてもう黙った。日焦けした土工たちの腕の汗が石の間で光っていた。砂利を混ぜ返す音がじりじり髄にこたえる向うの坂路を、バスが傾きながら流れて来た。
「ね、君、僕がここにいちゃ、人間の夢を邪魔するよ。そうだろう。」
とまた欅は云いかけて来たが、矢代はこのときはもう聞えない振りをした。
「まア、君と話の出来ただけでも嬉しいよ。僕なんかいなくなったって、――」
「さようなら。」
矢代は自分の見ていないとき截り斃されるか知れぬ欅の様子を感じたので、今からそっと別れをのべておいてバスに乗った。
塩野が二週間ほど入院していてからまたある日矢代のところへ訪ねて来た。
「とうとう病因分らずじまいさ。」
塩野は矢代を見るとそう云って幾らか顔色も優れず元気もなかった。言葉は事実を喚び起すという譬えを矢代は思った。そして、冗談の当りすぎた気味悪さもまだ引かず、深くは塩野に病状を訊ねる気もないまま、無事退院の慶びも一言いったにすぎなかった。
「しかし、今度は千鶴子さん、どうやらへんらしいんだ。昨日電話で宇佐美と話しただけでよくは分らないんだが、どうもそうらしいね、熱も相当ある様子だなア、――」
塩野は声を低め気味悪そうに、笑顔もなく窓の外を眺めたままだった。それでは千鶴子にも来たかと矢代は急に身が緊った。庭がぼっと暗く見えて来る中で、白い山茶花の弁だけ明るく、地虫のかすかに鳴く声が耳に入った。パリで会った人物のうち、帰って来たものも今は塩野と千鶴子ただ二人だけだのに、その二人が日をあまり違えず同じ病いに襲われたのだと思うと、矢代は、もう自分の考え以外のところで事実が厳しく動いているのを感じ、云うべき言葉もなく黙っていた。森森とした寂しさが襟もとに迫って来た。
「しかし、君、黴菌の巣窟へ帰って来たから、病気になるなんて科学説、そんな馬鹿なことはないよ。科学的に云うと、何んだって日本が悪くなるのかね。」
矢代は急にそん
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