以外に先ず矢代には一つも見つからなかった。このようにして矢代は暇を見てはだんだん古神道の書物を買い漁るようになるのだった。
目黒で千鶴子と会ってから二週間ほどたったある日、彼女から矢代に簡単な速達が来た。それには、塩野が駿河台の病院へ入院したので、明日見舞いに行きたいと思うから、あなたもそのとき来てほしいと書いてあった。とうとう来たかと矢代は思った。そのうちに君も入院するから気をつけるようにと、先日云って別れたばかりの直後だったので、およそ病因は彼に分っていながらも、冗談の当りすぎた気味悪さ以上、来るものの来た必然さに、長旅の愁いの常ならぬ辛苦を今さら矢代は考え直した。科学的には、黴菌の少い西洋から湿気のため黴菌の巣窟になっている日本へ、急激に帰ったものに起る、あの特別な不明病ということにされているようだったが、しかし矢代にはそうは思えず、やはり、それはある選ばれた純真な心の人物に、自然が恵んだ一種のみそぎだと解し、もし久慈でも今いれば、こんなところが二人の一番論争の種になるところだがと思って苦笑した。
駿河台の病院へ矢代の行ったときは応接室にもう千鶴子が来て待っていた。医者に塩野の容態を訊ねてみても要領を得ずじまいで、ただ眠らせつづけている以外方法はないとのことだと、千鶴子は矢代に説明した。それなら病人を起こさぬ方が良いと矢代は思い、二人は病院を出てお茶の水の傍の見晴しのよく利く喫茶店を選んで入った。
「あなたの兄さん、御機嫌はどうです。」
晴れた空の中にニコライ堂の円頂もよく見えた。下の濠の傍を辷る省線の屋根を見降ろし、千鶴子と対き合っていると彼は云うことが何もなくなるのだった。
「兄はあなたに感心してましてよ。」
そう云いながら羞しそうに表情を曲げた千鶴子を見て、矢代は、兄よりも自分の方に味方をしている彼女を感じ、いつのまにか、自分も千鶴子とどこかで結婚をすませてしまった後のような気持ちにふとなった。このまま二人が事実の結婚をするということは、何か不自然なことを別にするようにさえ思われる穏やかな気持ちだった。
「毎日何をしてらっしゃる。このごろ?」
「このごろあたし、ぼんやりしてるだけなの、何んだかしら、気が遠くなったみたいよ。あたしも塩野さんみたいになるんじゃないかしら。」
「一種のみそぎをしている時期だからな。僕らは――塩野君の入院でもどうも僕には、そんな風に考えられる。」
「じゃ、あなたはまだなの?」と千鶴子は顔を一寸赧らめて訊ねた。
「僕は東北でもうすませた。」
こんなことを話しているときでも矢代は、夫婦が話しているというような気持ちではなく、特にもう交際する要もなくなった、一番親しい友人同志に似た、和らぎを感じたが、しかし、これでいよいよもし結婚するようなことにでもなったら、細川忠興がガラシヤに詰めよったように、自分も千鶴子にカソリックだけはやめてくれと迫るのかもしれないと思われた。ただ今のような友人同志であってみれば、そんなことで詰めよる権利もなし、またその必要もないだけだった。しかし、どういうことともなく、二人の間でみそぎなどという言葉を使う場合に、一方がカソリックだと、相手の文化性を自認している心に羞恥心を抱かせる気具合を感じ、それに気づいても拭き消しもならぬ妙な気苦労を覚えて影が生じた。それも、云わず語らずにいる間は、思うだけで過ぎ去ってしまう瞬間にすぎなかったが、一たび口にしたとなると、それを習慣としてしまうまで押しきりたくなるのが、またみそぎという言葉の持つ厳しさだった。しかし、彼はこの厳しさの極のゆくところあくまでなごやかさだと思って疑わなかった。
「僕はこのごろ一度、本当のみそぎというものを、してみたいと思ってるんですよ。あなたはどう思われるか、これは別ですがね。」
と矢代は云って笑った。
「泥臭派なのね。あなたも。」
定めしこう云うような表情が彼女の笑顔を濁すことだろうと矢代は思ったが、千鶴子は濠の枯草の底を辷って行く電車の屋根を見降ろしたまま、唇を小さくつぼめ、巻き起って来る考えにゆらめくらしい沈んだ表情をつづけていた。冴えた日光が黒い洋装の襟飾のレースに射し、千鶴子の小鹿に似た顎を浮き出しているのを、矢代は、あるあきらめめいた秋の日の和らぎのままに美しく眺めた。
「何んだか、あなたがカソリックだのに、僕がみそぎの話をするのも妙なものだけれども、やはり僕は男というものだから、自分が仕事をしてゆく上では、そっと中心を需めたくなるんですよ。」
「パリでお別れのときも、そんなことを仰言ったわ。あのときのこと、気にかかってときどき考えるんだけど――でも、そんなものなのかしら。」千鶴子は紅茶を匙で掬っては滴し滴しやはり沈んだ。
「何も僕はあなたの考えを、邪魔するつもりじゃありませんが
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